地下深くに広がる自然の洞窟「ガマ」で、ボランティアとして戦没者の遺骨を探す夫婦がいる。浜田哲二さんと律子さんは今年2月、制帽につける校章を発見した。1936年に那覇市に創設された県内唯一の旧制私立中学校「開南中学校」のものだった。戦争で生徒たちが軍に動員され、その多くが犠牲となったことで戦後廃校になった。戦争の激化に伴い県内の学校では授業がなくなり、生徒たちは軍の防空壕掘りや陣地構築の手伝いなどの後方支援に動員されていった。アメリカ軍が上陸し沖縄の地上戦が苛烈を極めていく中、子どもたちも最前線へと駆り出されていった。16歳で戦場へと送られた瑞慶山良光さんは、スパイ養成機関とされる「陸軍中野学校」出身者が中心の秘密部隊「護郷隊」に入隊した。地元の10代の少年たち約1000人が「少年ゲリラ兵」として集められ、橋や道路を破壊し米軍の侵攻を遅らせる任務を課せられた。瑞慶山さんは戦車を破壊するため約10kgの爆薬を詰めた木箱を背負って敵の戦車に忍び寄り、爆薬に火をつけ爆破する体当たりの作戦に従事させられた。しかし決行の直前に作戦は中止となり、すんでのところで生き延びることができた。瑞慶山さんは戦後PTSDを発症し、今でも心は戦争状態だという。