中国地方の平定を信長からまかされた秀吉と秀長。「天空の城」といわれる兵庫県の竹田城は秀長が初めて任された城で雲海に浮かぶ壮麗な姿をしていた。この頃の信長は勢力を拡大しすでに天下統一を目指していた。その前に立ちはだかったのが中国地方を治める毛利輝元。毛利攻めの大役をまかされた豊臣兄弟は但馬と播磨(現在の兵庫県)まで進軍。秀長は竹田城を拠点に毛利に与する有子山城の攻略を開始。船を持たない秀長は不利な状況を打破するため地元の漁師たちに「羽柴秀長鮎漁免状」を発行。鮎漁の際、税金をとらないことを約束し地元の住民の心を掴んだ。船の調達を容易くした秀長は川を北上し有子山城へ。天正8年、有子山城は陥落した。
