今年4月、茨城の遺族のもとに遺骨が返還された。戦後80年、今尚遺骨の返還が続くシベリア抑留とは1945年8月、ソビエト軍が侵攻し元日本兵らが捕虜となり、ソビエト・モンゴル各地の収容所へ移送され、極寒・飢え・強制労働の三重苦に抑留者約57万5000人のうち約5万5000人が死亡し、生き抜いた人々も多くは3・4年、長い人は11年も抑留期間があったとされ、詳しい実態は現在も全容が明らかになっていない。父がノリリスクの収容所で病気で亡くなった渡辺祥子は2015年にノリリスクを訪問し、死亡した日本人の慰霊碑を建てた。
シベリア抑留実態解明の転機となったのは34年前、1991年にゴルバチョフ大統領が来日し、抑留者の名簿が初めて引き渡され、日本政府による調査・遺骨収集がようやく本格化した。実態解明に自ら取り組んだ元抑留者である村山常雄が名簿公開後に国もホームページで公開した。2010年、戦後強制抑留者特別措置法が成立し、国が実態調査を進めることを明記した。今後に向けては情報待ち続ける遺族への対応、元抑留者への対応が求められる。関東学院大学の小林昭菜准教授はロシアの公文書館には膨大な資料があり研究者個人で全体像把握は難しいとしている。国は検証につながる研究への支援を検討することが求められている。
シベリア抑留実態解明の転機となったのは34年前、1991年にゴルバチョフ大統領が来日し、抑留者の名簿が初めて引き渡され、日本政府による調査・遺骨収集がようやく本格化した。実態解明に自ら取り組んだ元抑留者である村山常雄が名簿公開後に国もホームページで公開した。2010年、戦後強制抑留者特別措置法が成立し、国が実態調査を進めることを明記した。今後に向けては情報待ち続ける遺族への対応、元抑留者への対応が求められる。関東学院大学の小林昭菜准教授はロシアの公文書館には膨大な資料があり研究者個人で全体像把握は難しいとしている。国は検証につながる研究への支援を検討することが求められている。
住所: 神奈川県横浜市金沢区六浦東1-50-1
URL: http://univ.kanto-gakuin.ac.jp/
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