阪神・淡路大震災から29年。和泉喜久男さんは若者たちの音楽活動を支援している。高校教員として音楽を指導していた和泉さんは定年後、コンサートを若手演奏家に紹介して活躍の機会を増やしてきた。和泉さんは29年前の震災で長男の忠宏さんを亡くした。和泉さんは息子と一緒に寝てあげなかったことを今でも後悔している。定年後、10年間若手演奏家を支援してきたが、70歳を節目に活動から退こうと考えていた。震災前に撮影した忠宏さんの映像を見つけ、歌う姿に背中を押された。和泉さんは若者の夢を支え続けていきたいという気持ちになった。その後、和泉さんは支援活動を続けてきた。