徳光が涙なしでは語れない伝説のシーン。2006年8区、2位と2分以上差をつけてトップを独走していた順天堂大学の難波祐樹主将。優勝は確実と思われていたが、難波は脱水症状を起こしていた。これを見た順天堂大の仲村明監督は、車を降り水を難波に渡す。残り1キロで2位駒澤がすぐ後ろに。そして駒澤が逆転。何とかたすきを繋いだ。レース直後、難波が呟いたのは、たすきがないと、繋いだタスキの行方を気にかけていた。この時難波を介抱していたのが後輩の今井正人。伝説のシーンの裏には今明かされる真実が。翌年、難波の跡を受け順天堂大学の主将となった今井正人は、5区で区間新記録を達成。最終10区のゴール前には、難波祐樹もいた。徳光は、難波の襷という言葉は今井くんの頭の中には非常にインプットされた、今井を奮い立たせたタスキリレーだったと語っていた。