1997年に行われたサッカーフランスW杯アジア予選では当時にアジア最終予選では5カ国ごとの2つのグループリーグで競い各グループ1位はストレートで出場する。2位同士はプレーオフ勝者に出場権が。前回大会ではドーハの悲劇を乗り越え挑んだ日本代表。初戦のウズベキスタン戦では快勝するも、2回戦で格下相手にドロー。第3戦韓国に逆転負け。第4戦でのカザフスタン戦でも後味の悪いドローに。日本は首位通過は絶望的な状態に。しかしカザフスタン戦を前に監督が解任され監督経験のない岡田武史が抜擢された。新体制となった日本代表だったが2戦連続ドローに。5試合連続勝利なしという結果に。その状況にサポーターが暴動を起こし始めた。W杯までに日本は残り2試合アウェーの状態で韓国戦に勝利し、UAEが負けか引き分けになるか、グループBではカザフスタン戦で2位に入り、プレーオフではグループAの2位のサウジアラビアかイランに勝利すればW杯が決まるという状況。しかしその後日本は韓国戦で勝利し、UAEはウズベキスタン戦でドローに。また岡田監督は前監督の構想外の中山雅史を起用。期待に応えゴールをきめプレーオフに進出が決定した。そしてジョホールバルの一戦を迎え強豪イラン相手に中山がゴール。日本リードのまま前半が終了。しかし後半に逆転を許す結果に。その後監督はカズと中山を下げ、城と呂比須を起用。すると城が同点弾を決めた。