高橋由紀子さんは筋ジストロフィーによって声を出すことができない。高橋さんは自身の病気を治してくれるかもしれない“動くiPS細胞”を見たいと大阪・関西万博への旅を決意した。関東から片道10時間の長旅で、医師と看護師が常に寄り添いチューブの調整や痰の吸引などを行う。中学3年で筋ジストロフィーと診断された由紀子さんは、その辛さを乗り越えて薬剤師となり、同じ薬剤師の喜世司さんと結婚。40歳の頃から車いすになり、10年前の骨折で容体が悪化して声が出せなくなったという。自宅に帰れない中、3年前に喜世司さんが心筋梗塞で突然亡くなった。コロナ禍で面会制限が厳しい時期だったといい、由紀子さんは「10分でもいいから会いに来てって言えばよかった」などと話した。由紀子さんはもう後悔したくない、病気でも諦めないとして万博へ向かう決意をした。そして万博では中学時代の同級生2人と回った。この3人は1970年の万博をともに回ったという。パソナパビリオンで動くiPS細胞を見た由紀子さんは「生きてる。言葉にできない」などと感想を語った。そして「治る事を待てると思った」などと話した。