あさま山荘事件 犯行グループは12人の仲間を殺害…“総括”とは?

2024年7月1日放送 23:06 - 23:36 テレビ東京
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1972年2月19日に発生した歴史的な人質立てこもり事件が発生。あさま山荘事件は政府に不満を持つ若者が決起した反政府組織の連合赤軍があさま山荘の管理人の妻を人質に籠城したが1500人の警察が完全に包囲し、2月28日に鉄球作戦により機動隊が突入。突入がされた日には各局が生中継の特別番組を放送。NHKと民放各局をあわせた視聴率は89.7%。8時間にわたる激しい攻防の末に多くの日本国民が中継を見守る中で犯人が逮捕された。捕まったのは5人。最年少は16歳で20歳前後の仲間の犯行だった。しかし逮捕後、証言から驚くべき惨劇が明らかになった。浅間山荘にたてこもる前に、連合赤軍メンバーが総勢12人乗仲間をリンチ殺人していた。獄中で犯人が綴った手記には、死ぬまで徹底抜いて戦い抜くなどと書かれていた。
1960年代後半は世界的にも歴史の転換点だった。1966年、中国では文化大革命が吹き荒れ学生が各地で立ち上がり、1968年にはフランスの五月革命は結果的に大統領辞任へと繋がった。そして国内でも経済発展に歪みが生じ、高度経済成長の中で、格差社会の資本主義への批判も聞こえだし、さらにはベトナム戦争への反戦を軸に政府を批判する反政府運動が若者を中心に活発化した。そんな時代背景の中で、政府に不安を持つ人々が結集しあさま山荘事件の約半年前に連合赤軍が誕生した。あさま山荘事件に詳しい久能靖さんは連合というように2つの過激な集団が合体したものだという。それが赤軍派と革命左派。赤軍は銀行強盗をし、潤沢な資金をもっていたが京浜安保共闘は銃砲店を襲撃し豊富な銃を持っていた。その2つが合体し強力なグループが出来上がった。組織の中心を担ったのは、赤軍派のリーダーのMと革命左派のリーダーN。そしてNと夫婦関係にありのちにあさま山荘事件に籠城したAの3人。連合赤軍はこの3人を中心に活動が展開していく。彼らは日本政府に不満を感じており、日本を変えるために政府権力の打倒を掲げ、革命による新政府の設立を目論んでいた。そのために銃砲店を襲撃し、郵便局や銀行を襲撃し活動資金を増やし、爆弾製造のノウハウを持ちより活動が活発化していた。しかしそんな大胆な犯行を重ねる彼らの足取りを警察はつかめずにいた。一方で連合赤軍は、ベースと呼ばれる山岳アジトにこもりながら、軍事訓練と称した活動を行っていた。警察の目の届かない場所にベースを設置し、隠れて活動していたメンバー。時代の流れもあり、最終的に29人を超える若者があつまり、武力闘争につながる軍事訓練を行っていた。しかし、この隔絶された山での共同生活で12人が死亡した凄惨な事件が発生した。
あさま山荘事件まで2ヶ月の時、その事件のきっかけは些細なことだった。当時25歳だったTにNは彼女が指輪をしていることを指摘し、さらに一体山に何をしに来たのかわからないとNが彼女にいちゃもんをつけた。さらに彼女が髪の毛が長いことや女性らしくメイクをしていることにも言及。久能さんは、革命軍は甘ったれた考えをもってはいけずメンバーが各地で過去を精算し、甘い考えて生きていたことを反省する必要があり、露見すれば徹底的に追求されていたという。身につけるアクセサリーも化粧も革命と無関係なことは原則禁止。反省点を明らかにし、今後の活動につなげるための指導などを行うことを連合赤軍では総括とよんだ。しかし打倒政府を目標とした活動の成果がでない中結成から五ヶ月が経過すると総括はエスカレートしていった。仲間内での殴る蹴るの暴行が行われるようになった。そんな中、メンバー同士で接吻していたものが発覚すると総括の果てに死亡者も出た。リーダーA、M、Nを中心に殴ることは指導と正当化させ、気絶すれば別の人間に生まれ変われると当時22歳のKを暴行。さらにNらはその仲間たちにも彼を殴るよう指示。またEとDはKの弟でもあり、兄を殴るよう指示され、共産主義のためと殴った。そして暴行死するのが総括の成れの果てだという。
総括での集団リンチは次々と発生した。髪型などで総括を受けていたTは、自分の顔を自分で殴らされるなどのさらなる総括要求をうけ命を落とした。常軌を逸した集団リンチ殺人。久能さんは集団では上の言う事は絶対という考えを持った人々がいてリーダーの命令は絶対という考え方が洗脳となるという。革命の名のもとに集まった仲間たちによる総括による集団リンチ。一ヶ月半で12人のメンバーが死亡した。佐久間はこの事件について、ブラック企業や劇団でもこうした上が絶対という考え方があると指摘。
総括による集団リンチによって12人を殺害した連合赤軍。あさま山荘事件の二日前には連合赤軍の山岳ベースを捜すために警察が大規模な山狩を開始したという。連合赤軍の居場所が分かった理由に久能さんは、リンチ殺人が発生したことで脱走者が出、その人が警察に連絡。脱走者が出るたびにベースを変える必要があった。総括の歪により組織は解体の危機に。拠点を転々としていた連合赤軍は逃走の資金調達で東京に出ていたMとNは、新たな山岳ベースに向かったがすでに他のメンバーは捜索から逃れるため逃走していた。山狩をしていた警察に発見されリーダーが逮捕された。一方で逃走した残党を率いたのがA。残りのメンバーと群馬県の山中を移動し長野県へ。その中で偶然たどり着いたのは長野県にある浅間山荘だった。その中にいた管理人の妻を人質に立てこもった。1972年2月19日に連合赤軍に5人によるあさま山荘事件の籠城がスタート。警察は200人体勢で包囲。その模様はテレビで生中継された。圧倒的な数に対し連合赤軍はライフルや猟銃で応戦。投降することなく10日目を迎えた。連合赤軍は最後の時が近づいているのがわかったのか急いで朝食をかき込み、10時には機動隊が突入を開始し、鉄球作戦が行われた。建物に鉄球を打ち込んで開いた穴に激しい放水を行った。激しい銃撃戦で機動隊2名が死亡した。最後まで抵抗を続けたが、催涙ガスが充満し2月28日に籠城していた5人は逮捕された。


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