- 出演者
- 美輪明宏 宮崎哲弥 村上信五(SUPER EIGHT) 丸山隆平(SUPER EIGHT) 安田章大(SUPER EIGHT) 山本倖千恵 三田佳子 近藤太香巳 渡邊圭祐 成田悠輔 美奈(はんなみいな) 帆奈(はんなみいな)
はんなみいなら出演者によるオープニングトーク。はんなみいなは「(双子の見分け方について)大人っぽいか、ちょっと可愛らしいかみたいな」などと話した。
オープニング映像。
今回のテーマは「AIが進化したら具体的にどんなことが出来るようになるのか?」。ChatGPTは人間のような自然な会話が出来るAIチャットサービスで、文章の要約や資料の作成など仕事に活用する人が増えている。IoTはあらゆるモノをインターネットに接続する技術。日本の農業を変えるといわれているのがスマート農業。自動運転のトラクターは最初に畑の外周を走り、必要なデータを入力すれば、最も効率的な作業ルートを自動作成して畑を耕したり、肥料の散布や種まきもしてくれる。ドローンが農薬を散布したり、AIロボットが野菜を収穫してくれる。
クリエイティブな創作物もAIが作る時代になる。絵や画像のイメージを入力すると、ChatGPTが瞬時に作成する。生成AIが作った写真がコンテストで入賞したケースもある。また、小さな会社の中では、AIを利用することで大きな利益をあげているところもある。また、ChatGPTには3つの料金プランがある。無料版は基本的な会話機能のチャットサービスだが、有料版ではより高度で自然な会話&画像生成が可能。料金の月額は約3000円。ChatGPT Proではさらに動画生成などが可能になり、料金の月額は約3万1000円。
「意表を突く編」として、「ベトナムで撮影された、赤ちゃん猿が鉄砲で撃たれた演技をする映像」などを紹介した。
「九死に一生編」として、「アイスクリーム店で、女性の髪の毛が機械に吸い込まれた映像」などを紹介した。
「意表を突く編」として、「アメリカで撮影された、配達員がジャンプしたところ、屋根に頭をぶつけて失神した映像」などを紹介した。
昭和の車は後部座席の真ん中の床が盛り上がっていた。真ん中に乗った人は内股になり、前の座席に手をかけて体を支えていた。プロペラシャフトの通り道が、後部座席の盛り上がった部分となっていた。現在では前輪駆動の車が主流となり、床がフラットになった。
昭和の車には小銭を入れるトレイがついていた。昭和の時代はETCが存在しなかったので、高速道路の料金は現金を手渡しで払っていた。そのため、トレイにお金を常備しておくのが常識だった。2000年代初頭にETCが登場。ETCの普及により現金を支払う機会が激減し、小銭トレイを見かけなくなった。
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- ETC
昭和の車にはシガーライターで、タバコに火を点けることができた。吸い終わったタバコは、引き出すタイプの灰皿に捨てていた。灰皿の吸い殻はガソリンスタンドの人に捨ててもらえた。ガソリンスタンドで吸い殻を捨てると消臭ビーズを入れて戻してくれた。
昭和の時代の車は、窓を開閉する時に手動のハンドルを使っていた。現在はボタン一つで自動開閉ができる。
昭和の時代のこたつのコードは赤と白の色合いで、パチっとスイッチの音が鳴った。
渡邊圭祐ら出演者によるスタジオトーク。渡邊圭祐は「(昭和世代にイライラすることについて、話の最中に)こっちのオチを待たずに自分の話をブチ込んでくる人いるじゃないですか。あれちょっと僕、イライラしちゃいます」などと話した。
昭和の時代のこたつのテーブルをひっくり返すと、緑色の裏面があり、そこで麻雀などのテーブルゲームができた。トランプも簡単にめくることができた。
昭和の時代、布団の中に電気あんかを入れて、足元を温めて寝ていた。
昭和の時代、人々は毎週末のようにスキー場へ足を運んでいた。90年代前半がスキーブームのピークで、当時のスキー人口は約1860万人だった。リフトも2~3時間待ちが当たり前で、スキー場なのに滑れないことも多かったという。また、車を持っていない人や低予算で行きたい人は夜行バスで行くのが当たり前だった。スキーブームの火付け役は「私をスキーに連れてって」。「私をスキーに連れてって」は1987年に公開されて大ヒットした。原田知世に憧れて、真っ白なスキーウェアが大流行した。
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- 原田知世私をスキーに連れてって
光の反射や白いスキーウェア、ゴーグルなどで、ゲレンデでは綺麗に見えたのに、他の場所で再会したら興醒めしたという現象をゲレンデマジックと呼んだ。昭和のスキーブームは徐々に衰退し、若者のスキー離れやレジャーの多様化、暖冬の影響もあり、スキー人口が激減し、スキー場が続々と閉鎖。一方、「白馬岩岳マウンテンリゾート」ではマウンテンカートや乗馬体験を導入。「スノーリゾート ロマンスの神様」では雪山でライブを開催している。ゲレンデは11種類のコースがあり、レストランでは「ハニーアップルピザ(ホワイトソース)」などが楽しめる。ホテルの中には美容クリニックがある。
昭和の時代に乾布摩擦が行われていた。血流が良くなり体が温まると言われていた。一部の小学校では女の子も上半身裸で乾布摩擦をやらされていた。乾布摩擦は戦争前に幼稚園や小学校で導入され、1980年代に健康法として広まった。しかし、体罰・虐待と捉える保護者が増えたことから、学校で行われることはなくなった。
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- 乾布摩擦
はんなみいなら出演者によるスタジオトーク。はんなみいなは「一番つらいなって思ったのは、高校受験の頃なんですけど、第一志望の高校が同じだったんですね。で一次試験でみいなは受かって、私は落ちちゃって、ここまで一緒に生きてきたのにここでバラバラで生きちゃんだって、もうそれはすごい辛かったですね」などと話した。
昭和の時代には「うさぎ跳び」をしごきとしてやらされた人もいた。しかし、膝や股の関節に強い負荷がかかり、怪我をする児童が多かった。負担が多く効果が低いとして1980年頃から禁止になった。