- 出演者
- 木村拓也 宮司愛海 矢澤剛 小山内鈴奈 青井実 梶谷直史
昭和の大ヒット商品にはこんなものも。大手バッグメーカーのエースが昭和43年に発売したマジソン・スクエア・ガーデン・バッグ、通称「マジソンバッグ」。当時中高生の通学カバンとして大ブームとなり1000万個以上が売れたという。当時高校生だった天皇陛下も、文字が入っていない特注品を通学に使用されていた。現在は販売終了が、調べてみると当時のオリジナルが現存していることが判明。東京・台東区の浅草駅近くにある「世界のカバン博物館」で羽生結弦氏が使用したバッグのそばに展示されている。英語のロゴとか色とか形がアメリカを感じさせて良かったという。
東京・豊島区の「ワールドペガサス」で販売されている愛称「ワッペ」のスクールバッグ。昭和61年に東京・八王子市の都立高校のスクールバッグとして販売されるとかわいいと若者の間で大人気に。その後色などのバリエーションが増加し、それが令和の今女子高校生の間でリバイバルヒット。新モデルとは別に発売当時のモデルが東京・八王子市のマルミ運動具店のみで販売されている。ホームページで在庫確認し、あれば電話予約で買うことが出来る。しかしみんなが買うから電話がつながるのは運だとのこと。
昭和100年。若い世代に黒電話を見てもらうと使いづらいなどの意見が。黒電話を使っているのは新御徒町駅から徒歩約5分、東京・台東区の「中華料理 幸楽」。店を守ってきたのは店主・小林賢吉さんと妻・さち子さん。人気の「ナシゴレン」は約60年前に賢吉さんがインドネシア人に教えてもらったレシピをオリジナルの味にアレンジしたもの。このお店では黒電話はいまだに現役。一回も壊れたことがないという。
きょうの“しらべてみたら”は、昭和100年を迎えた今年、昭和時代のアレコレが今どうなっているのかを調べてみた。“昭和は良かった”という意見ばかりではないようで、60代男性は「(昭和は)良くもあり悪くもあり。ハラスメントは当たり前だったし、(学校で)女の先生も結構、(生徒を)殴ってたね。しかもゲンコツとかで」と話す。他にも、昭和の通勤ラッシュは今では考えられない地獄絵図。昭和47年頃の東京・新宿駅では、凄まじい数の乗客が何とか乗り込もうと押し合いへし合い。そのため欠かせなかったのが乗客を列車内に押し込む人たちで、“押し屋”と呼ばれた。ぎゅうぎゅう詰めの車内では、女性が失神することもあったという。昭和32年、東京タワーは命綱なしの鳶職人が手作業で建てた。鳶職人は命綱なしで鉄骨の上をスタスタと歩き、文字通り“命がけ”の仕事だった。昭和47年頃の東京都内の路上に目を向けると、オートバイはノーヘルが当たり前だった。
きょうの“しらべてみたら”は、昭和100年を迎えた今年、昭和時代のアレコレが今どうなっているのかを調べてみた。昭和56年頃には、いわゆる“ツッパリ”の少年らによる校内暴力が社会問題になった。当時の中学生たちは「(気に入っているのは)やっぱり長いってこと。普通の人と同じがいやなワケよ」「(化粧は)中1。みんな同じだよ。外国、見てみ」と話していた。なぜ、中学生たちは“ツッパリ”ファションをしていたのか?当時、“ツッパリ”ファッションの学生服を着ていたという62歳の男性は「(えりの)裏に『国士無双』と書いたり、(学ランの)裏に竜とか虎の刺しゅうがしてあって、友達がそういうファンションが好きで自分もやろうって。いやぁ楽しかったですね」と話す。
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きょうの“しらべてみたら”は、昭和100年を迎えた今年、昭和時代のアレコレが今どうなっているのかを調べてみた。昭和世代が「ちょっと危険だった」と語る子供の遊具が、子供たちが回転しながらぶら下がって遊ぶ遊具「回旋塔」。昭和の子供たちが夢中で楽しんだ一方で、子供たちが遠心力で飛ばされたり、老朽化で倒れたりといった事故が相次ぎ、「回旋塔」は撤去が進められて今やほとんど見かけなくなった。では、現在の遊具はどうなっているのか?神奈川県平塚市の平塚市総合公園に行ってみると、子供たちが楽しそうに遊具に座って遊んでいる。子供たちは腰までスッポリと包まれて回っているが、安全性について、公園の管理事務所の担当者は「安全性につきましては、スピードが上がらないような調整をしております。また、周りに立て札を立てさせていただいて、“スピード上げすぎないように気をつけてください”というような注意をしていただくようにしています」と話す。これらは「インクルーシブ遊具」と呼ばれ、性別・年齢・障害の有無にかかわらず一緒に楽しめる。昭和の子供たちが夢中で楽しんだ一方で、子供たちが遠心力で飛ばされたり、老朽化で倒れたりといった事故が相次ぎ、「回旋塔」は撤去が進められて今やほとんど見かけなくなった。では、昭和の「回旋塔」はもはや存在しないのか?というと、SNSで“まだ現存する”という情報を見つけ、宮城県蔵王町に向かった。すると、公園の一角に懐かしの「回旋塔」を発見。この「回旋塔」は50年ほど前に町が設置し、現在はこの地区の住民が管理している。とはいえ、取材中の利用者はゼロ。少子高齢化が進む町で、昭和のまま残された「回旋塔」だが、今後は撤去する可能性もあるという。地区長は「実際まだ遊べる形で残っておりますので、危険を伴ったなら撤去するようには考えてますね」と話す。ということで、昭和100年の今年、気になる昭和のアレコレを調べてみたら、ほとんど姿を消してしまったモノがある一方で、時代に合わせて進化し、今も受け継がれているモノもあることが分かりました。
午後4時過ぎ、山梨県・甲府市で早くも撮影されたゲリラ雷雨。雨とともに打ち付ける雹がフロント部分にどんどん貯まっていく様子が確認できる。撮影者によると雹は10分くらい降り続いたといい、地面は瞬く間に一面真っ白に。今日東京ではソメイヨシノの開花発表が出るなど本格的なお花見シーズンの到来とともに、この時期としては異例のゲリラ雷雨も発生している。東京・奥多摩でも雨とともに雹やあられとみられる氷のつぶが。撮影者によると奥多摩では先週雪が降ったといい、不安定な天気が続いている。一方午後6時頃、埼玉県・上尾市では雷が鳴り響く中、大粒の雹が。今夜は関東など東日本を中心に急な雷雨・落雷・雹などに注意。
コメの需要が増え、「サトウのごはん」が一部販売を終了。サトウ食品は、5月末ごろからパックご飯「サトウのごはん」のうち17品目の販売を終了し、5品目で一時的に販売を休止すると発表した。販売を終了するのは「いわて純情米ひとめぼれ5食パック」などで、昨今のコメ不足感からパックご飯の需要が急に増えたことで、供給が追いついていないためだとしている。こうした理由での販売終了は初めてだという。
センバツ高校野球2回戦。横浜高校×沖縄尚学で、阿部葉太選手が3ランホームランで横浜が3点を先制。沖縄尚学は3回反撃に出て一挙4得点。8回沖縄尚学が2点ビハインドでスクイズ、これにより再び1点差に迫った。しかし横浜が打ち合いを制し準々決勝進出を決めた。
エンディングカットとは、生前と同じ姿で旅立てるように故人の髪の毛など容姿を整えること。美容師の山下夕子さん。亡くなった人を棺に収める納棺師としての技術も持つ”おくりびと”美容師。山下夕子さんは、寝た状態でのカットになるのでいつものカットより後ろに下がるためそこを意識していると話す。この日エンディングカットを行ったのは闘病中に何度も髪の毛を切りたいと家族に話していたという男性。カットやシャンプーも行い、頭皮マッサージをすることで表情が和らぐ効果もあるという。山下さんは15年以上美容師として勤務。旅立ちの時もいつもと変わらない姿でいてほしいと5年前からエンディングカットを続けている。山下さんは、故人さまの最後の瞬間に美容師として立ち会わせてもらえる、すごくいい仕事だなと思ってやらせてもらってますと話した。山下さんの”アスヨク”ソング ケツメイシ「出会いのかけら」。
明日の天気のポイントは、いつも以上にマスクが活躍。
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