- 出演者
- カズレーザー 王林
オープニング映像。
オープニングトーク。カズレーザーは「いわゆるザ・灯台はなかなか行かない。興味があります」などと話した。最初の海の疑問は「なぜ、人は海にロマンを感じるのか?」
横浜港にある真っ赤な灯台「横浜北水堤灯台」からスタート。船が入港する位置の右には赤、左には白の灯台を建てると国際ルールで決められている。「なぜ、人は海にロマンを感じるのか?」その答えを見つける旅スタート。
「横浜市中央卸売市場」を訪れた。毎週土曜日は一般開放日のため一般の人も買い物ができるという。広さは横浜スタジアム3つ分。新鮮な魚介類が卸売価格で買える。第1・第3土曜日には魚の詰め放題も開催される。
地元の高校生が主体となって、横浜市中央卸売市場の有志と共に市場の魅力を発信していくプロジェクト「市場の学校」。お店で取材した内容は市場の学校のInstagramにアップしている。市場の学校の高校生たちに密着した。飲食街の取材で創業60年の「木村家」へ。名物グルメは20cm超えの天ぷらが乗った「穴子天丼」。高校生たちに人が海にロマンを感じる理由を聞くと「みんながつながってるからこそ生まれるものがあって、それがロマンにつながるのかな」などと答えた。
金沢漁港の漁師に海にロマンを感じるのはなぜ?と質問すると、「海は銀行みたいなもんだ。自分が働くか働かないかで稼ぎが違う」と話した。漁師は珍しい海藻を研究してると富本さんを紹介。富本さんが横浜で養殖している海藻は昆布。昆布は本来、水温が低い方が育ちが良いと言われ、北海道がシェアの9割以上。富本さんは温暖化対策として昆布養殖を始めた。陸の木が光合成して二酸化炭素から酸素を作るように海の中では海藻がその役割をしている。また、昆布にプランクトンが集まる→プランクトンに小魚が集まる→小魚に大型魚が集まるという一つの生態系ができる。温暖化の影響で海藻が枯れてしまうと魚も住処を奪われ漁獲量も減ってしまう。そんな日本の海の危機を富本さんたちは昆布養殖を各地に広め救おうとしている。大学卒業後、地方の名産品をPRする仕事に就いた富本さん。とある物産展で偶然知り合った人物に昆布がいかに地球環境に良いのかを聞かされ半年後に退職。横浜で昆布養殖に挑戦することに。しかし、養殖に成功するも小ぶりで身の薄い昆布しか育たなかった。そこで横浜産の昆布を食べる昆布としてブランド化。うどんやアイスなど次々に新商品を開発。飽くなき商品開発は食べるだけに留まらず、銭湯の湯船に昆布を投入する昆布湯まで。昆布のフコイダンという成分が肌を保湿してポカポカに。昆布養殖を広めるべく可能性を追い求め続けている。海にロマンを感じる理由を質問すると「海の中って見えないからこそ未知の可能性に溢れてる」と話した。
富本さん開発の昆布商品が登場。サウナハットには昆布の成分をコーティング。髪が乾燥せず潤う効果が期待されている。
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- コンブコーティングサウナハット
海岸線を走る車窓に見えてきたのはレンガの外壁。実は歴史ある乗船所の跡。浦賀ドックは大型船も建造できる巨大ドック。その歴史は日露戦争の少し前の時代から。一世紀以上に渡って1000隻以上の船を建造・修理してきた。世界有数の高速帆船として知られる日本丸や1988年まで活躍した青函連絡船・十和田丸も浦賀ドック生まれ。さらに世界的に珍しい特徴がレンガ造り。日本にレンガが持ち込まれたのは幕末の頃。明治時代に造られたレンガ造りのブロックは日本近代化の歴史を今に伝える近代化産業遺産の一つ。当時のレンガ造りのドライドックで見学できるのは国内でここだけ。
走水地区で海の幸を食べることに。地元の人からは漁師小屋を改装したという「かねよ」を教えてもらった。
「かねよ食堂」は祖父の代から続く海の家をリノベーションした店で、地蛸のタコスミを使ったパスタなどが人気。オーナーの金澤さんは26歳の時に父の跡を継いで漁師となり、かねよ食堂をオープンして走水の海の幸の素晴らしさを発信し続けている。また金澤さんは母校の走水小学校の閉校を機に、子どもたちに海について学んでもらう「海とミライのがっこう」も始めた。そんな金澤さんは人が海にロマンを感じる理由について「海を目の前にすると実際に体を動かして行かないとたどり着けない世界を感じる」などと話した。
観音埼灯台は日本初の西洋式灯台で、横須賀製鉄所を立ち上げたフランス人技師のフランソワ・レオンス・ヴェルニーが造った。ヴェルニーは日本人技師の育成も行い、その技師たちによって浦賀ドックが造られた。また観音埼灯台は日本に16基しかない登れる灯台の1つだという。灯台を広める活動を行っている海野さんは人が海にロマンを感じる理由について「人類は海について10%しか分かっていない。分からない・見えない海を明らかにしていくことにロマンを感じる」などと話した。
カズレーザーさんは灯台について「設置されているから船と人が集まり、そこにロマンがあると感じた」など話した。また専門家によると人類は太古に海を渡って世界中に広がっていった経験から、広大な海を目の前にすると別の世界をイメージしてロマンを感じるという。
続いて能登観音埼灯台から旅をスタートさせていく。能登観音埼灯台は能登半島の灯台の中でも富山湾を航行する船を幾年も照らしてきていて、ここから能登半島最北端の禄剛崎灯台を目指していく。まず能登観音埼灯台の北にある能登島に能登島を訪れた。能登島には七尾湾内に住み着いた野生のイルカと一緒に泳げるアクティビティを企画しているドルフィンスマイルがあり、今回スタッフも1時間の講習を受けて参加した。
七尾湾でイルカと触れ合えるアクティビティを体験した。船が止まるとイルカたちの方から船に寄ってきてくれ、今回体験したスタッフたち一緒に泳いだ。このイルカたちはミナミハンドウイルカで、2001年に2頭が天草から七尾湾に来てそのまま住み着いた。七尾湾にはアマモが豊かに茂っているためイルカの好物である小魚も豊富で、外敵が少ないことも定着した理由だとみられている。
石川県輪島市の輪島港を訪れた。輪島の海女漁は歴史が深く、今も全国トップクラスの150人以上の海女さんが息づいている。アワビやサザエは9月で漁が終わってしまったということ。
海女歴40年の早瀬さんがおすすめするのは「モズク雑炊」。試食したスタッフは「モズクが普通よりもシャキッとしていて美味しい」などとコメントした。
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- 能登半島
海女さんの早瀬さんは休漁中は海女さん専用のウェットスーツを作る仕事をしている。1人1人の体のサイズに合わせた完全オーダーメイドだという。早瀬さんが見せてくれた動画には海底に積もった大量の泥が映し出されていた。能登半島地震で能登半島北側では海底が最大5m隆起した。それにより海女漁は休止し、今年から漁を再開したものの、海の変化を知るための海底調査に励んでいるという。その調査に役立つのが日本財団の海の地図を作るプロジェクト。この地図を頼りにアワビやサザエなどの位置を記録し、新たな海女漁の地図を作り出している。海女さんたちに海を眺めると癒やされる理由を尋ねると「海が好き」「育ててもらったのは海、今があるのも海のおかげ」などと答えた。
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- 令和6年 能登半島地震日本財団能登半島
海とともに生きる海女さんとの出会いがあった。能登半島最北の珠洲市へ。白米千枚田を通る。古い建物がある。海水を撒いていた。塩を作るという。すず塩田村で塩を作っている。塩田で塩をつくっているのは日本でここだけだとのこと。すず塩田村は、1300年前の奈良時代から続く揚げ浜式製塩を引き継ぐ塩田だ。独特の味わいが守られてきた。砂場の上に海水をまく。天日干しで感想。塩分が染み込んだ砂を作る。砂を集め、海水を注いでさらに濃い塩水を作る。釜で炊き上げて完成させる。浜士の浦さんが責任を追う。震災の被害でスタッフが市外に避難。豪雨で塩田に土砂が入った。先代の浜士の超えが聞こえてきたという浦さん。アイツで終わったと言われたくないと思ったという。人集めに奔走した。ボランティアの存在が大きかっtあ。土砂を撤去してくれた。今年4月に塩作りが再開した。かけがえのない塩作り。過酷な本焚きに密着。夜中12時半から1時に火を入れる。12-13時間で焚き上がる。夏場は60度を超える室温となる。気泡の様子で火加減を確認する。火加減は自分の感覚だとのこと。塩の味が変わってくる。完成まで目を離さない。午後2時、揚げ浜式の塩が出来上がった。スタッフが味見させてもらった。うまみと甘みが強いという。しょっぱさだけではないとのこと。神谷さんは、海はないと困るものという。海の存在は大きいとのこと。癒やしの塩がそこにはあった。
最北端へと車を走らせる。いよいよ禄剛崎灯台に。歩いて向かい到着。初点灯は1883年、高さ12m。通称は狼煙の灯台。ここはかつて船に異変を知らせる狼煙台があり、その名残が地名や灯台に残っている。震災により建物が破損した。フルネルレンズは破損。遺産として保管されている。今年3月に復旧。人々の表情には輝かしい未来への希望があふれていた。
