2024年3月4日放送 1:28 - 2:28 TBS

ドキュメンタリー「解放区」
ある家の記録〜帰還困難区域 浪江町赤宇木〜

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(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

(ドキュメンタリー「解放区」)
ある家の記録 〜帰還困難区域 浪江町赤宇木〜

福島・浪江町の赤宇木集落は原発事故で帰還困難区域に指定されている。住民である今野邦彦氏、今野区長は毎月、集落内の全住宅を含む95ヵ所で放射線量を測定してきた。街や住民は帰還困難区域の除染、避難指示について国に方針を示すよう求めてきたが、10年が経過した。震災前、地区には85世帯約230人が暮らしていたが、今、存続の危機にある。

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帰還を前提とした復興拠点では全面的な除染が行われるのに対し、道路際20mに限っての除染、解体が津島地区ではみられた。今野邦彦氏の自宅も除染、解体の対象となった。同氏は解体を決意したが、「道路際20mという線引も疑問だし、うちは公費で解体できるが、望んでも解体して貰えない人たちもいる。そうなると放置しかなく、思い出が詰まった家が朽ち果てるのを生きている間、見続けなければいけない」と話す。22年5月3日、今野氏の家族、4人の姉たちは赤宇木集落に集まり、先祖が眠る墓をきれいにした。自宅周囲に伸びた草木を刈り取り、生まれ育った生家に別れを告げた。

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雑然とした家の中を見て回り、長女のかつ子さんは亡き母に思いを馳せた。思い出の品などを拾い集め、きょうだいは家族の味を堪能しながら、懐かしい話に花を咲かせた。最後、自宅を背に記念写真を撮った。

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22年5月13日、今野邦彦氏は再び赤宇木集落の自宅へ戻り、蔵で多くの写真を整理した。そこに曽祖父の姿が写っていて、村長として私財を投じ、村の発展、住民の生活向上に寄与していた。また、相馬藩の歴史をまとめ、郷土史の分野でも功績を残していた。祖父は150年の歴史があった津島小学校の校歌を手掛けた。邦彦氏の父、孟信氏は酪農に精を出し、培った技術、知識は他の住民に開陳した。6月、邦彦氏は解体工事に向け、環境省の担当者と打ち合わせを行い、母屋を解体する時はこの目で見たいと要望した。

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終戦後、国策により赤宇木集落をはじめ、津島地区には満州からの引揚者を中心に多数入植した。多くは身一つで開拓したという。今野氏は「戦争、満州に行かされ、敗戦で泣く泣く帰ってきたのも国策。こういうところで入植したのも国策。原発を作ったのも国策。事故も国策の一部」、「もう少し政治って温かみがあってもいいんじゃないかと思う」と語った。飛田実氏は10歳の時、満州で終戦を迎え、翌年に帰国した。赤宇木集落では父とともに開拓の日々を送った。生活が軌道に乗ったところで、原発事故が発生。飛田氏は「開拓に入って一から出直した人のほうが辛いのではないか。自分で鍬振るった土地なのだから」などと語った。

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22年10月29日、今野氏のきょうだいたちが再び集結し、過ごした家の最後の姿を目に焼き付けた。だが、解体業者は作業の中止を通告した。メディア関係者の姿があったため、作業を止めざるを得なかったという。

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作業が突如として中止した後、国は今野氏らに知らせることなく、解体作業を進めていた。母屋の解体作業は見届けたいという邦彦氏の要望は叶えられなかった。23年7月、TUFは一連の経緯を放送したところ、環境省は「今後、同じことがないよう住民の意向を最大限尊重する」と謝罪の意向を示した。邦彦氏は今後、自分と同じような思いをする人がでてほしくないと望む。長姉の生子さんは「一人一人、一軒一軒の折り合いをつけさせてほしいと思う」などと語った。四女の道子さんは「建物はなくなったけれど、生きた人の生き様、大切にしてきたもの、温かな心は忘れられない。いつも私の心にあります」などと話す。23年3月、津島地区の一部で避難指示が解除され、復興団地に次女の晶子さんが帰った。

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23年夏、邦彦氏は自宅の跡地を再訪した。次に来る時は草取りをしようと決め、「家屋解体したって、所有者は管理しているんだというところを見せたい。こういうことを起こした人たちに」と語った。今、避難先である桑折町で町内会の役員を務め、原発事故の後、初めて盆踊りに参加した。準備を進めるなか、原発事故で奪われた盆踊りを求めている自分に気付かされたといい、「両親は相馬盆歌を聴かずに逝きました。届いているんじゃないですかね。息子が一生懸命、聴いていますから」と吐露した。9月、自宅の跡地で草刈りをする邦彦氏の姿があった。

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(エンディング)
エンディング

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