- 出演者
- ユースケ・サンタマリア 秋元真夏 田辺誠一 カンニング竹山 熊切あさ美 影山優佳
熊切は転ぶのがヘタで何年かに1回顔からいってしまうと話し、派手に絆創膏を貼られたときの写真をSNSにあげた。友人には「整形した?」と言われるという。
上山地区で電気ガス水道なしの仙人のような生活をする、朝生さんの山暮らしに密着。移住理由は2つあるという。朝生さんはプロのタップダンサーだった。早稲田大学在学中にタップダンスに出会い、以来プロとして活躍。世界中でライブを行ってきた。2013年、地域に暮らす1000人が参加した棚田でタップダンスを踊るイベントが行われた。リーダーとして活躍した朝生さんは、地元の人々の暖かさに感動し「こんな場所に住んでみたい」と思ったのがキッカケの1つだった。もう1つの理由は幼少の頃から抱いていた「秘密基地のような場所で暮らしたい」という夢だった。朝生さんはこの場所で暮らすことに満足している、どうやって死ぬのが一番良いかを考えているなどと話した。
静岡県の山奥、住民2世帯の長郷集落に1人で暮らす利夫さんのもとを訪ねた。重機に乗ってこれから椎茸の原木を置く場所の整備をしていた。利夫さんは自給自足に近い生活をしており、サツマイモなど9種類の野菜や果物を育てている。利夫さんはメルカリでドローンを買ったといい、息抜きに楽しんでいた。再び山奥に入っていった利夫さんは木を切り始めた。椎茸の原木の寿命は4年と言われており、新しい原木を伐採していた。家に戻ると薪で風呂を沸かした。昭和35年、6人きょうだいの5番目として生まれた利夫さんは11人の大家族だった。きょうだいのうち上4人は異母きょうだい、父が再婚してできたのが利夫さんと末っ子の弟だった。兄と姉は次々と家を離れ、14歳だった利夫さんがお茶の栽培や林業の跡継ぎになった。50年ほど前までは8世帯あったが、次々と街中に移り今では2世帯になった。両親も他界し、独身の利夫さんは一人で暮らしてきた。
利夫さんはさらに山奥に住民1世帯の佐賀野集落があり、80歳の女性が1人で暮らしていると教えてくれた。利夫さんはアスファルトの道まで来るまで送ってくれた。
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静岡県の山奥にある佐賀野集落で1人で暮らしているあい子さんのもとを訪ねた。新聞や郵便の配達が困難なため、往復14キロ車で山の下の郵便局まで取りに行っている。畑ではを15種類の野菜を育て自給自足している。パッションフルーツも育てていた。鹿に野菜を食べられてピンチに陥ることもあると話した。
影山はこの仕事を始めて初めての寝坊が武道館ライブの日だったと話した。
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静岡県の山奥にある佐賀野集落で1人で暮らしているあい子さんのもとを訪ねた。自宅は老朽化して所々修理が必要になっていた。あい子さんはトンカチを使って椅子を作り始めた。
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静岡県の山奥にある佐賀野集落で1人で暮らしているあい子さんのもとを訪ねた。家に上げてもらうと、ざるそばを振る舞ってくれた。昭和16年に農家の長女として生まれたあい子さんは20歳のときに結婚。夫は山奥で8時から18時まで畑仕事をこなし、習い事で帰りが遅くなるあい子さんを必ず起きて待ってくれていた。2人の娘を出産した。
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静岡県の山奥にある佐賀野集落で1人で暮らしているあい子さんに話を聞いた。夫は50歳で肝臓がんになり、闘病生活になった。できるだけ家で過ごしたいという思いをくんで自宅で療養生活をすることに。当時44歳だったあい子さんは1日10時間以上も働き、週末には夫を病院まで連れて行っていた。献身的にサポートしたものの、8年の闘病生活の末58歳で夫は亡くなった。
ハコビヤの番組宣伝。
自宅療養中、夫は木の伐採やお茶・椎茸栽培のやり方などをあい子さんに教えてくれた。あい子さんは「ありがたかった、忘れちゃいけない」「夫に支えてもらって生かされている」などと話した。娘たちも度々家を訪れている。
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「WBS」の番組宣伝。「お台場に新テーマパーク」
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