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オープニング映像。
龍飛の名物マグロ漁師である水嶋光弘に密着。水中に巨大な魚影が現れトドメの一発を入れて巨大マグロを釣り上げた。連絡を受けた妻夏子もやってきた。釣り上げたマグロは183kgだった。そんな水嶋のライバルなのが成田金悦。成田は80歳を越して265kgのマグロを釣り上げたこともある漁師。そんな成田であるが83歳でリビングで眠るように永眠してしまった。3ヶ月後水嶋はスタッフにあと2年が限界と初めて引退について述べた。
水嶋は龍飛漁師の家に生まれ1973年に結婚。30代から建設業に従事していたが50代で親の後を継いで漁師になった。水嶋の漁はダンブを使ったもので餌を取り付けてここぞという場所に仕掛ける。食いつくとダンブが回るというものだが今年はイカがダメでそれを狙うマグロも龍飛に入ってこないという。水嶋が海の上でぼやいている頃妻の夏子はお土産を売って水嶋を支えていた。ある日、水嶋は成田の家へと訪れ仏壇に手を合わせた。午前3時、いつもより早く出て、水嶋がアオリイカの網上げを行うと今までの10倍以上がかかっていて、マグロへの期待が高まる。
夜明けから日の出までの前後1時間手程度のあさまずめはマグロが活発に活動して餌を捕食する。この時間を狙って仕掛けを流す。反応があって回収するが切れてしまったりした。次の仕掛けでは強い引っ張っても跳ね返されるほどでかいマグロがかかっていると思い格闘。水面に魚影が見えたところで電気を流し釣り上げることに成功した。釣り上げたのは224kgのマグロだった。大漁祝にアオリイカの刺身やアジの塩焼きなどが食卓に並んだ。
水嶋は漁師について一応80歳あたりで辞めると区切りを一応つけておかねばと話し、気力はあれど酷使した体は限界を迎えている事を話す。夏子は「龍神様」と呼ばれる場所へ訪れて清掃を行った。翌日午前4時、水嶋は漁への準備を行った。この日も仕掛けに反応があり回収。この日も大物のようで苦戦する。
2日連続大物のマグロを釣り上げた水嶋。その大きさは昨日のものより大きい230kgで、2日連続200kg超えを釣る偉業をなした。
大間と双璧をなすマグロの産地である三厩。この地で漁をおこなるのは小林一仁と小林秀則の親子。一仁は父の跡を継ぎたいと考えているがまだまだ修行の身であると話す。小林たちの漁はダンブ漁。一仁は漁師の家に生まれるが20代から介護職に従事、しかし父秀則が膝をやり父を助けるために43歳で漁師になった。この日準備をしていたが重要な部分が切れている事を指摘された。
一仁が仕掛けた獲物が食った。秀則があげろと指示を出す。しかしもたついていたため切れてしまい逃げられた。漁を終えた一仁はロープの結び方の練習を行っていた。次の日午前4時過ぎに出港。値段が跳ね上がる冬のマグロ漁のためよほどシケではない限り毎日漁へ出る。ダンブの近くでマグロが跳ね、そしてダンブも回る。根比べをするがテグスが切れてしまい逃げられてしまった。秀則はテグスに弾力性があるが伸びないので無理すると切れてしまうと話した。しかし自分で研究して自分で漁具を作って、ただ人を頼るのは良くないと話した。マグロは釣れなくても腹は減る、自宅では母であるみな子の料理が待っていた。2人での漁についてみな子は2人だと漁も安心している、ああとは何とか早く覚えてくださいと述べた。この日も休むことなく2人で漁へと出た。
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小林の船が漁へと出て仕掛けに反応があったが逃げられてしまう。別の仕掛けにも反応があり、今度こそはと挑戦するがまた切れてしまう。一仁は良い手応え出てただけに情けなくなってくるなど話した。この日も親子船が出港。今日こそはと仕掛けに反応があり戦う。マグロが底の方へ逃げて無理はしないようにや弛ませたら外れてしまったりするなどと指摘。
小林の船に反応があり、魚影が海面付近にやってきて電気を流して気絶させ釣り上げることに成功した。秀則は切らすも外すも経験と話す。釣り上げたのは132kgのマグロで、知らせを受けたみな子の駆けつけた。そしてマグロを置いたらまた出ると漁へと出た。
大間には初競りで一番マグロを釣り上げた漁師たちの名前が刻まれた石碑が建てられている。その一人である山崎倉の名前がある。山崎について熊谷義宣も「山崎さんなくして大間のマグロはない」と一目置く。2024年7月に石碑は建てられた。その会場では山崎倉も写真でかけつけた。山崎は2年前73歳の時にマグロ人生に幕を下ろした。遺影を持つのは息子の岳大さんで父はkの番組に出ることが非常に大好きで、漁に出たいと話していたなど明かした。山崎倉という存在についてできることは全てやるってそういう風になれないと思うけどなるように努力しますやおっとうの存在があったからみんな目標にしているなど話した。
山崎倉とは2010年に当時60歳の時に出会う。誰も漁に出ないような海にも出る山崎、時化のの時は船が少ないからチャンスの場面があるなど話していた。文字通り命をかけて漁に出て巨大マグロを従えていた。餌にはスルメイカを使用、最期まで餌はイカにこだわっていた。2012年、船に乗り込んできたのは当時20歳の御厩敷大生でマグロ漁を1から学びたいと頭を下げてきたため見習いとして迎え入れた。そんな御厩敷大生も現在33歳で若手の有望株として成長しおのれの腕だけで稼げるようになっていた。そして今となればあの時言っていた意味の深さがじみじみ感じますと話した。
2017年11月、この日は-2℃だったが船には山崎の姿があった。生簀の清掃を行っていた。清掃を怠ると鮮度が落ちるため吹きさらしで冷たい中掃除をする。そんな山崎は漁師たちの手本となっていた。レーダーにマグロの群れが映り、餌を投げ入れややこぶりながらもマグロを釣り上げることに成功した。山崎は餌について選ばれなければ喰わないなど話した。2020年、この日は漁師仲間と飲んでいてそこには40近く年の離れた漁師の姿もあった。
山崎倉として錆びない鉄人を支えていたのは妻の美智子。美智子は朝早くから夫のために大好きなおにぎりを作るのが日課となっていた。そんな美智子も山崎を置いて天国へ昇った。山崎は家族に楽をさせたいとその一心で努力を重ねていつしか大間を代表するマグロ漁師になり愛妻のいない生活には慣れてきたが事あるごとに思い出す。2021年、71歳になりやっぱり年には勝てないと思ってるなどなど話す。そんな山崎だったが10月下旬には海の上にいたこの日が人生最期の巨大マグロとの闘いとなった。シイラの群れが飛んでいて仕掛けを流しかかり、強い引きがくる。山崎は焦らず勝負をしかける。そしてトドメの突きをして仕留めることに成功。釣り上げたのは207kgの巨大マグロだった。あれから2年が経ち、鉄人は天国へと旅立った。
北海道・吉岡には鉄人・山崎倉と深い絆が結ばれたのが新山文明。荒波でも進み漁場に到着すると疑似餌を流すと数分もかからない内にマグロがかかり、電気ショッカーを流して釣り上げた。新山はテグスの針とカッパが他と違うと話す。この仕掛けは大間の山崎が全部作ってよこしたと話す。そんな新山の針を見たがってるやつはすごくいると話す。新山が暮らす福島町は人口約3400人で第41代横綱千代の山らの出身地でもある。山崎の仕掛けについて見たらすぐわかるなど話す。山崎とはわざわざ自分で作ったやつを送ってよこす仲である話した。住まいは津軽海峡を一望できる一等地。家では4人で食事をするのがルールで決まっていはいないが毎日食べているなど話した。
新山は中卒後漁師の道へ進み30歳前にマグロ漁師になった。妻・哲子とは1974年に結婚した。山崎とは30年以上前に吉岡の港に偶々入ってきたのが出会いで船で言ったり来たりして一緒に温泉に行ったりしたという。針が強くないことを相談すると作ったから送ってやると電話で連絡が来たという。それから釣れるようになったという。新山の漁は曳釣り漁でライバルが少なくチャンスだと感じた新山は龍飛崎まで近づくことにした。海面では鳥が騒いでおり鰯の群れも確認。すると新山の仕掛けにマグロがかかり144kgのマグロを釣り上げることに成功した。そんな新山の船に近づいてきたのは熊谷義宣でフクラギをお裾分けしてくれた。山崎との縁が熊谷とのつなげた。そんな3人の絆を示すのがダイニングテーブルで3人が同じ銀杏の木で作ったもので大事に使っているという。山崎とは電話が頻繁にかかってきて熊谷に確認すると容体が変わったと連絡を受け病院に向かい、最期は新山の手を掴んで放さなかったという。そして帰ってきて次の日になくなったと連絡を受けた。会いたくて連絡をよこしたのかなとなど話した。
この日先日144kgの大物を釣り上げた龍飛崎まで向かった。レーダーにマグロの姿を確認。餌を投入しかかる。波が船に打ち付ける中、仕掛けは重く新山は型がいいと話す。そして海面近くまで浮上してきた。
新山は先日、大物を釣り上げた龍飛崎で漁を行う。水面にマグロの姿が浮かび釣り上げることに成功した。釣り上げたのは257kgのマグロだった。
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2006年番組が細間正樹と出会った。当時は娘2人に、妻加代子がいた。そんな細間だったが2013年、加代子がくも膜下出血のため急逝。男手ひとつで2人の娘を育てる日々に変わった。娘達も母の死を乗り越え愛華は看護師の道を志し、2022年には看護師として就職。次女・心寧は母と同じ介護しへの道へ進み短期大学へ合格した。ある日細間は愛華が入院したと知らせを受けて函館へとやってきた。