- 出演者
- -
今回はモネの睡蓮の庭を特集する。
オープニング映像。
田辺誠一がやったきたのは東京・上野の国立西洋美術館。現在モネの展覧会が開催中で、パリ・マルモッタン・モネ美術館のコレクションを中心に、日本初公開の睡蓮をふくむ60点以上が集まった。睡蓮、夕暮れの効果は1897年にモネが初めて描いた睡蓮の一つと推定される一枚池に浮かぶ睡蓮の花や葉、それらをクローズアップしている。緑の葉や、白い花の上には陽の光を感じさせるうっすらと赤みをおびた色がのせられている。その6年後に、画面の半分をしめるのは、池の水面。睡蓮の花は、木々の奥においやられ、水の色の中に溶け込んでいる。モネの視点が変化している。絵の主役はもはや、睡蓮ではなく水面にうつる世界。最も印象を与えるのは池のほとりに茂る柳と抜けるような青空。モネの変化を研究員は主役や池の水面とそこに映る反映が主役になっているという。86歳で亡くなるまでに、睡蓮を描き続けたモネは、描く度に、絵の視点はドンドン変化していった。
フランス・パリはモネが登場した19世紀後半。画壇の主流はルネサンスの歴史を引き継いで見たままを忠実に描く写実的な絵だった。そこに、印象・日の出で反旗を翻したモネは、風景を光と色彩で表現することで、印象派と呼ばれる絵画の新しい時代を開いた。その後、モネは独自の手法にたどり着く。同じモチーフを違う季節、別の字感にくつも描いていく。連作という同じ作品をぜんぜん違う色彩、違う見え方で描いたという。モネは人生最大のモチーフと出会う。パリから北西に80キロの場所にはノルマンディー地方にある村のジヴェルニーは、風景の美しさに心奪われたモネは43歳で移り住むと自分次の手で庭園を作りはじめた。セーヌ川主流の水をひいて池を作り、自ら選んだ草花を植えて睡蓮を浮かべた。日本風の太鼓橋もかけたという。庭造りはモネにとってキャンバスを彩るのと同じ喜びだったという。亡くなるまでのおよそ30年間でモネは睡蓮の庭をひたすら描き続けた。その数は300点以上。
高知県の北川村には山間に広がる。ここに、フランス・ジヴェルニーの庭園を再現したモネの庭がある。睡蓮の咲き誇る庭にはジヴェルニー本家公認。村役場の人がモネの庭を作りたいと現地で交渉し熱意が認められた。庭師の町田さんにはこだわりがある。モネの描く睡蓮の配色を表現したいとジヴェルニーと同じように映り込むグリーンと空との配合を考える必要があるという。ここはまさにモネが見ていた風景を再現した。午前11時には強い光がはいり、池は鏡のようになる。青空と雲が移りだされた瞬間をもモネは鮮やかに切り取った。昼下がりの気だるい空気には水面にゆらゆらと揺れる柳の葉は水に溶け合うような淡い描写で描いた。夕暮れには赤く染まる水面と、木々のシルエット。黄昏時の匂い立つ空気感までモネはキャンバスに閉じ込めた。季節や天候や時間によって一瞬たりとも同じ顔を見せない睡蓮の池。その全てを捉えようと毎日何十年もこの庭を見つめ続け描き続けていた。
モネは睡蓮の庭を新たな形で表現する壮大な挑戦に挑んだ。池に移ろう光と大気を捉えた睡蓮の絵で壁を覆い尽くそうとした。そのために絵のサイズは大きくなっていった。楕円の形になった展示室はモネが強く望んだことだったという。その理由は睡蓮の池の形を再現したかったというが睡蓮が咲き誇る庭を訪れたかのような没入感を演出したいというのがモネの描いた夢。その夢は100年前のパリで実現していた。
1927年にモネの睡蓮の連作を展示するために大改修されたのはオランジュリー美術館。もとはオレンジを栽培する温室だった。真っ白な楕円形の部屋に、睡蓮の大装飾画が展示されている。縦2m、横6mから17mのまでの作品が全部で8枚。360度、見る人を取り囲む。柳や睡蓮など、天井からは自然光が降り注ぎ実際に睡蓮の庭を訪れたかのような感覚に。しかしモネはこの美術館が完成する前に亡くなっていた。
モネの死後に睡蓮の展示に力を尽くしたのは友人だったクレマンソー元首相。ある日、オランジュリー美術館のモネを称える部屋を訪れたクレマンソーは思わぬ光景に衝撃を受けた。作品を見に来る人など誰もらず、時には物置のように乱雑に使用されることも。その理由を専門家はモネは時代遅れになっていたという。モネはすっかり忘れ去られ、自然光の差し込む屋根も改装され塞がれてしまった。
時代の流れで忘れされてしまったというモネ。しかしモネが描いた日本の橋という作品があるがこの絵を描く20年前に同じ構図で描かれた作品と比べると睡蓮の庭にかけられた橋は跡形もなく、極端なお度赤に傾いた色彩とあまりに荒々しい筆の跡。モネはその頃、白内障におかされていた。モノの輪郭がぼやけ、色の知覚にも異常をきたしていた。その苦しみが新たな作風に。モネの死から30年後に、この独特の表現を再発見したのはアメリカのアート界。その頃注目されていたのはジャクソン・ポロックやサム・フランシスなど、感情を叩きつけるような激しい抽象絵画。アクションペインティングと呼ばれアメリカで誕生したアートをモネは先取りしていた。そうした作品と結びつけられモネが再評価。同じ頃フランスの前衛画家のアンドレ・マッソンもオランジュリー美術館のモネの絵を見てフランスの天才の最高傑作とした。今では美術館は世界中の人が訪れる観光名所に。
今回はモネの睡蓮の庭を特集する。埼玉県所沢市にある角川武蔵野ミュージアムで鑑賞できるモネの体感型デジタルアート。田辺誠一は没入感がすごいと答えた。またモネは日本が大好きで、日本の美に強く影響をうけていた。日本人もモネが大好きで何枚もの睡蓮が海をわたり、日本にコレクションされている。
新美の巨人たちの次回予告。
「スポーツ リアライブ」の番組宣伝。