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建築家の山崎健太郎が設計した52間の縁側という建物を紹介。
オープニング映像。
千葉県八千代市は日本初の団地が誕生した東京のベッドタウン。知花くららがやってきたのは今日の作品の高齢者施設の52間の縁側。長さ76m、奥行き4.5mで細長い縁側に1.8mごとに柱が並ぶ。柱や梁といった構造体をむき出しにした素朴な作りで、その骨組に小さな3つの部屋を挿入する入れ子構造になっている。建物の1番南側にある部屋は、四畳半ほどのこじんまりした座敷に、奥の背の低い戸をくぐると、デイサービスの利用者が使う浴室が。窓を開け放つと露天風呂のような開放感が。長く伸びる縁側に心地よい風が通り抜け豊かな緑をのんびりと楽しめる。普段の様子を紹介。
縁側を北に向かうと利用者たちでいつも賑わうスペースが。一般的なデイサービスではリハビリなど、決まった日課にお年寄りが参加する。しかしここでの過ごし方は本人任せ。さらに、利用者のもとにやってきたのはスタッフの子供。窓の落書きを楽しむのは近所の子供たち。52間の縁側にはスタッフの家族から地域の人達まで、自由に出入りが可能。運営するのは石井英寿さん。今までの介護に疑問を抱いて20年ほど前から一人一人によりそった介護を実践してきた。プライバシーや安全性を重視するのは大切なことで、山崎さんはあえて門戸を開放設計にした。至るところにある段差や柱は山崎さんの考えた優しさの形だった。
52間の縁側プロジェクトが始まったのは2016年。石井さんが、山崎さんに依頼をした。建設予定地は随分と細長く西側に崖があり、建てられる範囲が条例で限られていた。そんな不便な土地に何を作ろうか?山崎さんの頭にふと浮かんだのは縁側。東京・日本橋に山崎さんの設計事務所がある。52間の縁側のルーツを見せてもらった。江戸時代の錦絵風のスケッチで様々な人達が同じ縁側で過ごすイメージを描いた。これまでライフワークとして実測を行ってきた古い住宅や寺院の縁側。そこから一間、1.8mの尺度が日本人丁度いい間尺と考えた。しかし細かい設計段階で、壁にぶち当たった。高齢者になったことがなく認知症の人たちにとってどういう場所が望ましいかということを想像することもできなかったという。ヒントになったのは居方という考え方。その居方を提唱するのは鈴木毅さん。歩き方が独特なように同じようにそこに人がいるだけでもいろんな居方があると考えているという。鈴木さんが居方を問いはじめたのは町の再開発が盛んになりだした1990年代。多くの計画で求められたのは賑い。効率的に集客できるようにデザインされた街。しかしただいることができる場所が失われていった。鈴木さんはその頃パリを訪れていたが、公園でステキな居方に出会う。思い思いに佇む、居合わせるという居方が自然と生まれる建築が山崎さんのたどり着いた答えだった。
52間の縁側にはちょっと体を預けられる柱や、何気ないおしゃべりが始まるベンチ。山崎さんは、居方が自然に生まれる仕掛けをいくつも潜ませた。それは地域の子供たちにも必要なことだった。
建物の1番北にある部屋には休みの日は、子どもたちの勉強部屋で一般の人が利用できる。丘の上には大きな団地があるがその中には朝ご飯も食べられないような子どもたちや居場所のない子どもたちがいるという。ひさしは上向きにして建物全体で訪れる人を迎え入れる。プライバシーやセキュリティは少し足りないかも知れないが、山崎さんはあらゆる人に開かれた建築こそ本当の安心を生み出すと信じている。まるでこの地域全体の縁側のよう。
山崎健太郎の52間の縁側はなぜ評価されたのか?鈴木さんは建築会がちょっと違う価値を目指し始めたのでは?と答え、本当の意味で人間的な建築だと語る。山崎さんが縁側にたどり着くまでには長い道のりがあった。
大学卒業後に、都市の再開発などを請け負う大手設計事務所に就職した山崎さん。仕事にやりがいを感じながら充実した日々を送っていた。しかし6年が経過したことに大きなプロジェクトは収益のために建築され、設計するのがお金の手段になるという。誰かのためにという心では行われず、そこに疑問がわいたという。そんな時転機となったのは実家の建て替え。広い庭の中に小さな箱をつなげておいたような庭の中の家。父の龍太郎さんが定年を迎えた時に山崎さんが設計した。5つの部屋を少しずつずらしながら縦に細長くつなげた平屋のワンルーム。仕切りとなるドアはない。庭仕事が趣味の礼子さんのためにどこからでも庭を眺められる窓の多い作りに。開放的すぎる空間に両親は戸惑いもあったが、しかし暮らしてみると孤独感はないという。定年を迎えた夫婦がこれからの人生を過ごす家。使う人に優しく寄り添い、暮らしを想像して作られた。
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- 庭の中の家
2008年には山崎健太郎デザインワークショップ設立。階段状の保育園や目の見えない人のための施設などを次々に手掛けた。そして2020年に完成させたのが終末期を過ごす人たちの緩和ケア病棟のいまここ。木目のフリーリングが美しい開放的な廊下が目を引く。中庭を眺める待合や木漏れ日を浴びるウッドデッキなど利用する人が一息つけるような場所を作った。するとこの病棟にうつってきた人に変化があり生きる活力を持てた人も。そして52間の縁側を建設していた時も山崎さんの想像を超えた出来事が起きていた。
52間の縁側の北の端にある階段からは庭の池に出られる。コロナ禍で木材価格が高騰し予算が足りなくなった縁側プロジェクト。そこで地域の人に協力を呼びかけると沢山の人が参加してくれた。上棟式には自分の家でもないのに、大勢の人が集まった。山崎さんは建物ははじまりなので、それを希望の形にしなければいけないと答えた。その希望のために建築を作るのが自分たちの仕事だと答えた。
新美の巨人たちの次回予告。
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