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今回は剣持勇の「ラタンチェア」を特集。
オープニング映像。
埼玉県の浦和区にやってきたシシド・カフカ。埼玉県立近代美術館は椅子の美術館と呼ばれている。世界と日本に歴史的名品とされる椅子が並んでいる。しかも座ることができる。その中に今日の作品の剣持勇作のラタンチェアが。横幅81センチ、奥行き78センチ。高さ72センチとふっくらとした形。
剣持勇のラタンチェアの主材はラタンを使っているので籐の丸椅子と呼ばれている。床に接する底辺から全体がつながるように優雅な曲線を描いて立ち上がる。ふくよかな局面の肘の部分はなだらかにおちていき楕円形の座面の形に。敷かれているのは美しいテキスタイルのクッション。椅子とは人の身体が直に接する唯一の家具。この椅子はただ優しくただ柔らかい。
シシド・カフカは座り心地に安心感があるという。365度全てを覆うラタンの柔らかさとしなやかさが喜びを与える。重さは10キロ。籐は軽い素材でこの椅子はラウンジチェアと呼ばれていた。
1959年代後半から60年代にかけて都心はホテルの建設ラッシュに湧いた。高度経済成長の波に乗って64年の東京オリンピックも見込んで続々と新しいホテルが誕生した。その一つがホテルニュージャパン。このホテルのインテリアを任されたのが剣持勇。事務所のスタッフとともに、剣持は巨大ホテルのデザインの一切を手掛けた。そのラウンジようにと手掛けたのが今日の作品のラウンジチェア。剣持は生涯に膨大な数の椅子をデザインしている。用途や置かれる場所によって素材をかえて形をかえた。
ラタンチェアのイメージ画ではA3サイズの紙に書かれているが剣持は精密な原寸図を作らずに実製作に入った。その図面について剣持デザイン研究所の長尾さんは職人が手で編んでいくので図面には表現し得ないプロセスがあったと語った。その椅子を手掛けたのは山田ラタン製作所の職人たち。剣持は籐という素材を見極めながら職人と同じ目線で座り、その手元を見つめ幾度もやりとりを重ねていく。剣持はデザイナーは技術に精通した芸術家であると話す。そのオリジナルはホテルの火災により、焼失した。
シシド・カフカがやってきたのは新潟県長岡市。ワイ・エム・ケー長岡は山田ラタン製作所を受け継いだ家具の製造工房。ラタンは東南アジアに自生するヤシ科のつる性植物。現地で皮を落とし、大まかな太さを合わせた加工剤として日本に輸入されてくる。
ラタンチェアの製作工程を紹介。ラタンをボイラーで蒸して柔らかくする。およそ10分で柔らかくなったラタンを型に合わせて曲げていく。丸めたラタンを一日おいて乾燥させ、その後乾燥したラタンの輪を炙りながら広げていく。木は戻り広がっていくのでそのことを計算して小さい輪で作っておく。この椅子に部材はすべて籐で唯一無二の特徴。パーツができあがったら組み立てをする。蒸したラタンは太さニムラがあるので1本1本微調整が必要になる。骨組みが完了したら編んでいく。
ラタンチェアの編み込み作業では専門の職人が行う。最初に直径3ミリほどに削り出したラタンの芯で縦方向に編み込んでいく。次にピールを使用し巻き付けながら籐芯を挟み込む。縦芯を編み込んだら籐芯を湿らせ柔らかくするために水分を含んだ袋にいれたラタンを編み込んでいくが縦芯に絡ませながら横に編んでいく。編み方一つで座り心地を左右する微妙な曲線や風合いを生み出していく。
シシド・カフカがラタンの編み込みに挑戦した。
ラタンチェアの編み込み作業は8時間かかるという。仕上げにささくれや細かな繊維をバーナーで焼き落として完成する。
1964年にニューヨーク近代美術館はニューヨーク近代美術館は剣持勇のラタンチェアを永久コレクションに選定した。剣持がラタンチェアと同時期に手掛けたもう一つの椅子がある。
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剣持勇が手掛けた柏戸イスは原材料には杉の木の根本の木目の荒々しい部分を選び、7層のブロックに組み上げていく。1層ごとに接着し、14枚の部材をつくる。目印のラインにそって定められた形状にカットし、カットした部材を接着し組み上げる。プレス機で圧力をかけたあと、研磨し表面を整え、植物の根を用いたブラシで磨き浮造りという方法で木目を際立たせる。木という素材そのものに包まれるどっしりとした座り心地が肝。太い丸太を切り抜いた臼のような造形。ラタンチェアとは対局にある2つのデザイン。
剣持勇は明治45年に東京で生まれた。千葉大学の前身の東京高等工芸学校で木工芸を学び、商工省の工芸指導所に入り日本各地の特産品のデザインを改善する仕事を行った。剣持にとってイスは常に課題であり続け、イスとはなにか、その正解とはなにかと考えていた。
剣持勇が愛していたのはこけしやだるまや人形。無名の人々が作ったその土地から自然に生まれたような素朴な美に魅せられていた。1952年にはアメリカを視察しチャールズ・イームズと親交を学び帰国後に一つの運動を提唱。
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日本の日を近代の技術と融合させ、世界に通用するデザインの創造を目指そうとどっしりとした達磨のよう。かつてみられた赤ちゃんをいれる藁かごのように。長年剣持勇とともに数々の作品を残したデザイナーの松本哲夫は剣持の人柄を強力な個性や好みがあり謎を秘めたデザインの人間的なユニークさがあったと語っている。
「新美の巨人たち」の番組宣伝。