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このあと「ニッポン山岳仕事人”9つの山で登って出会った2024年夏直前SP」。
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山を愛する100人に聞いた!登って良かった日本の山ランキングを発表。10位東京都「高尾山」。高尾山は都心から近い場所にありながら広大な自然があり初心者でも気軽に登れる山で登山者は300万人以上が訪れ世界一の登山者数となっている。また「天狗焼」などグルメの宝庫となっている
9位長野・岐阜県「槍ヶ岳」。槍ヶ岳は標高3180mで槍の穂先に見えることがその名の由来となっている。8位栃木・群馬「日光白根山」。日光白根山は標高2578mで関東地方の最高峰で特徴としてエメラルドグリーンに輝く美しい湖でこれは水中に含まれている微粒子が太陽光に反射して見え、ロープウェイで標高2000mまで上がれる。
7位富山・長野県「鷲羽岳」。鷲羽岳の山頂は遮るものが何もなく絶景が広がっていて、歌手の野口五郎さんの芸名ンはこの山が由来。6位北海道「利尻山」。利尻山は稚内のそばにある標高1721mの山。湧き水の「甘露泉水」は甘さを感じさせる名水。5位富山県「劔岳」。劔岳は遭難件数は年間100件以上で非常に難易度が高い山。
4位熊本県「阿蘇山」。「火の国」熊本県のシンボル的な存在で世界最大級のカルデラは面積350平方m。阿蘇山にはお釈迦様の寝姿に似ていることから「阿蘇の涅槃像」と呼ばれている。3位長野・岐阜県「奥穂高岳」。奥穂高岳は標高3190mで日本で高さ3位の山。
2位長野・山梨県「八ヶ岳」。八ヶ岳は約30近くの山々が連なる総称。グルメも充実でトーストの他鍋やステーキを堪能できる。またエアコンの霧ヶ峰は八ヶ岳にある霧ヶ峰が由来となっている。1位静岡・山梨県「富士山」。富士山は標高3776mの日本一有名な山で年間22万人以上が訪れる日本を象徴する山で年間13万人以上登る吉田ルートの他、富士宮ルートや御殿場ルート、須走ルートが存在する。
山を愛し山に生きる山岳仕事人に密着する。
標高3000m登山家の聖地である「穂高連峰」は世界有数の厳しい冬の気象条件となり日本一危険な登山道があり、年間の遭難事故件数は約300件と危険な場所の一つとして知られている。そんな穂高連峰を守っているのが栗澤徹さん。標高2367mに構える西穂山荘には多くの登山客の姿もあり、お客さんと談笑をしていた栗澤さん。お客は学生時代にアルバイトをしていた方だった。そんな栗澤さん西穂山荘の支配人。北アルプスの山荘は通常夏季だけの期間営業だが西穂山荘は唯一の通年営業をしている。午後1時宿白受け付けを開始。栗澤さんが自ら受付業務を行う。遭難事故の際に情報提供できるよう宿泊者の登山予定を聞いてルートを把握している。受け付けが終わると部屋にいた人たちにある確認をしていた。栗澤さんによると奥穂高岳の方で行動不能者がおり、泊まっていたかどうか確認していた。
午後8時、栗澤さん達スタッフは夕食を取る。30分後に西穂山荘では消灯されるが栗澤さんは気象の研究をやっていた。山の気象は変わりやすいことから学び2010年には気象予報士試験に合格した。現在は未然に事故を封じるため宿泊者に向けた天気解説を毎日実施している。さらに山岳事故を減らすため本を出版したり全国各地で天気教室を開催している。栗澤さんは警察の救助隊長さんから気象遭難の割合が減ったと言われると非常に嬉しいと話した。
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翌日、西穂山荘のレストランではお客さん達が名物「西穂らーめん」を食べていた。栗澤さんは天気でがっかりする人も出てくることもあり1つでも楽しい思い出をとスープから作っているという。そんんあ栗澤さんは松本市生まれで幼少の頃は山とは無縁の生活を送っており、むしろ遭難のニュースが頻繁に入りなぜ危険な所に遊びに行くのかと思っていたという。その後一般企業に就職したが29歳の時に転機が訪れる。奥様が西穂山荘初代社長の孫で山荘が火事になり妻の実家を助けないと大変なことになると救うために支配人となったという。支配人になり登山客との触れ合いなどから山の世界にのめり込んでいったという。この日は登山道の整備に出かける栗澤さん。ぐらつく大きな石は良いステップになるようにしたり転がりそうな石を取り除いていく。するとルートを外れそうになっていた登山者を発見し注意した。その後整備を続けていると注意された登山者が滑落してきた。栗澤さんが確認しにいくと頭部からは出血していていて、従業員に指示を出し救急箱からガーゼなどを取り出し応急処置を行いヘリでの救助要請を決断した。連絡注油にもルートを外れる登山者がおり、注意を飛ばす。また、ヘリは見送られパトロール隊が来ることになった。到着は2時間後ということで容態を考慮して早く病院に連れて行くため下山をサポートした。
岩手・遠野市を仕事場としている岩間敬さんに密着。岩間さんの仕事は「馬搬」。馬搬は馬を使って山の木材を搬出する作業で車ンドが入れない狭い山道から木材を搬出しており、さらに木材を切らずに搬出できるため木材の価値を下げずに業者に手渡すことが出来る。木材は大黒柱や一枚板の高級テーブルなどに加工される。遠野市は江戸時代馬産地として繁栄し、乗用馬の生産・馬術の普及に取り組んでおり、岩間さんも幼少期から馬と慣れ親しんでいた。また自身の名前が敬で馬に乗ったら驚くかなとそれがきっかけになったという。
岩間さんは午前4時くらいから作業をしているという。仕事について好きというより面白いからやっているなど話す。現在7頭の馬を飼育し、他厩舎の馬も頼まれたら調教を行っているという。そして馬搬のきっかけは「将太の寿司」に登場した「炭のジャー」で美味しい米を食べるためカマドが必要でカマドには炭が必要で木材を馬で運ぶように考えたという。さらに美味しい米を食べるため伝統農法馬耕も行っている。
馬搬の岩間さんに密着。馬耕の途中で馬が一休みをしたりするがマイペース同士相性抜群のようだ。そんな馬耕で作った米は「馬米」という名で販売している。そんな岩間さんの元に大黒柱になる大木の馬搬の依頼は入る。移動距離は約1kmで今回は2頭で1400kgのpパワー自慢のベテランコンビ「寺優」と「霧芝」と共に向かう。出発から30分までは舗装された道を歩いていたが山の中へ入っていく。険しい山道を進む。馬搬を選んだ理由として山野環境を守るためと話した。20代の時に見方芳勝さんの所で修業を積み10年で技術を身に着けた。しかし馬搬文化が衰退しており現役は岩間さんのみの状態だった。そこで岩間さんは馬搬先進国であるイギリスで技術と普及活動などを学んだ。すると岩間さんは当時のチャールズ皇太子主催の馬搬技術コンテストで優勝し注目された。その後帰国後講習会や体験会を開催し馬搬する人も増えているなど話した。
出発から1時間、馬搬ポイントに到着。運び出すのは長さ15m、重さ800kgの大木。大黒柱に使うため傷やひび割れ厳禁である。2頭の馬搬は左右1本ずつの手綱で馬をそれぞれコントロールする。搬出が完了すると食事タイム「馬米」を使って食べた。
八ヶ岳は初心者向けの登山道で本格的なロッククライミングなどが出来る山で年間約45万人が訪れる人気エリア。そんな八ヶ岳で登山客を守り続ける小林美智子さんに密着。小林さんは国際山岳看護師。午前8時、待ち合わせをしたのは標高1900mの中腹でそこから2220m地点まで登る。険しい山道だがこれが勤務地までのルートで途中では鹿に遭遇したりした。そんな小林さんはマッターホルンやキリマンジャロなど世界中の山々を制覇しており、2時間の登山出勤は朝飯前だという。診療所からは赤岳が見える「赤岳鉱泉」に設置される。診療所はベッドと医療資材とかのみでいろんなものは揃っていないという。
小林さんが到着早々、岩肌で擦り剥き、傷を負った男性が訪れた。タオル代わりに使ったのはオムツで通常、処置しようとすると消毒液を山の中に捨てることになってしまいそれはしてはいけないと話す。様々な工夫で応急処置をする。小林さんが持つ国際山岳看護師の資格は医療の知識の他、レスキュー技術、高度な鉱山技術など7つの試験を突破することで合格できる難関資格で日本ではわずか31名のみが取得していて、小林さんお場合は国際山岳看護師で登山ガイドの日本初となる山岳ナースガイド。勤務する診療所は日本初となる通年でやっている。八ヶ岳はオールシーズン登山が楽しめるが診療所がなかった。そこで小林さんが2021年に診療所を設立し、現在は10名のスタッフが運営している。また診察台は受け取らず寄付で運営していて、スタッフはボランティアで平日は病院、休日は山岳診療所で働いている。小林は診療の仕事のほか未然ん事故を防ぐ対策として声をかけをしたりしている。小林さんは一度見た登山客は忘れないという。レスキュー隊との連携は重要で話し合いをしていると要救助者の連絡が入り、診療所ではベッドなどの用意を始める。
国産山岳看護師の小林美智子さんに密着。レスキュー隊と話し合いをしていると要救助者を知らせる連絡が入る。救助者の様子について連絡が入るが単独のため転倒した理由が病気なのか不明で、またヘリコプターも入れない場所の可能性があり、診療所では凍傷などの可能性を想定して準備を進める。今回はヘリコプターが無事に到着した。気が抜けない仕事だが楽しみが食事で赤岳鉱泉名物のステーキを堪能した。
この日、診療所には小林さんの夫である信彦さんが趣味の登山の合間に様子を見にやってきた。元々山岳会で出逢い、自然と2人で命を預け合うようなパートナーになったという。そして忙しい合間を塗って2人で登山を行う。2人の登山ルールとして山頂からの景色は同時に見ている。小林さんがこの仕事を始める切っ掛けについて尊敬するアルパインクライマーが北海道で亡くなり山が怖くなった時期があったが山の事故が多いというのがわかり、国際山岳看護師を目指したいと思ったという。
荷物を山頂まで運ぶ「歩荷」に密着。那須鳥山で石高徳人さんはこの日運ぶのは通信工事用の資材でスタート地点から約2km先のゴールを目指す。荷物は40kg前後でスタッフも挑戦するが全く動かなかった。この日は那須鳥山であるが依頼があれば北海道から九州まで荷物を背負いに行っているという。石高さんは10年前に「日本青年歩荷隊」を立ち上げ現在は「株式会社 歩荷隊」に成長し30人が所属している。全国からオファーが入りこれまで200以上の山を登ってきており、年間約280日歩荷している。歩荷を依頼する理由について依頼人に聞くとヘリは値段が高く山の環境のほかお財布にも優しいという。報酬は重量に比例しており70~80kg であれば日当15000円で今までで一番重かったのは142kgだったという。
石高さんは歩荷になる前は富士山の山小屋に務めていて、ブルドーザーで荷物を運んでいたが山に優しいということから25歳から歩荷を始めたという。そして仕事が終わると石高さんはメンバー皆にごちそうをしている。そんな石高さんの元に今年新人が入った。新人の波多野さんは一般企業の会社員だったが歩荷をみて憧れ脱サラした。歩荷は山小屋から依頼を受け食材なども運ぶ。今回は約11kmの山道を進む。波多野さんは学生時代陸上をやっていてスタミナと忍耐力が培われている。石高さんは健康な事が最優先で壊さないように頑張ってほしいと話す。石高さんはこれまで体を壊しやめていった人を見てきたという。至仏山荘で荷物の引き渡すため石高さんは離脱しここからは波多野さん一人で8kmを歩いていく。そして目的地の小屋に到着しごはんをごちそうをしてもらった。