2024年7月21日放送 18:30 - 21:54 テレビ東京

日本⇔南極35000km!南極観測船“しらせ”に乗せてもらいました!

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(日本⇔南極35000km!南極観測船“しらせ”に乗せてもらいました!)
日本⇔南極35000km!南極観測船“しらせ”に乗せてもらいました!

午後8時以降、隊員たちは自由時間になる。浴室の湯船は海水を使用。10時に就寝となるという。

出港から4日目、甲板ではある行事のための訓練が行われる。行われるのはレイテ沖海戦で戦没した方への追悼行事だという。今回レイテ島沖を通過する日はあいにくの天気で、艦内での追悼行事となった。

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レイテ島レイテ沖海戦大和武蔵

6日目、赤道を通過する際に行う赤道祭の準備を行う隊員たち。甲板にステージを作っていく隊員たち。

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赤道祭

6日目の夜、船内全体の時計を司る親時計が逆に進み始める。これは現地の時刻に合わせるためのものだという。

赤道まで5マイルとなったところで齋藤艦長がブイを発見する。現地の漁師が仕掛けたもので、艦長の判断で避けて通ることに。そうこうしているうちに赤道を通過。赤道祭が甲板で行われた。

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カリマンタン島スラウェシ島マカッサル海峡

8日目の食事はカレー。曜日感覚を思い出すために、毎週金曜日はカレーと決まっており、また9日・19日・29日は夕食はステーキになる。

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カレーステーキ

出港から10日目、バリ島を経由し、今回唯一の寄港地であるオーストラリアのフリマントルに近づく。船上では水深などを読み取る。これを終え錨を落ろしていく。その後甲板をきれいに流し入港許可を待つ。フリマントルでは以前取材したベルーガエースと遭遇。航行の無事を送りあった。入稿前には船に水先人が乗船、指示に従って港に入港していく。

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アグン山バリ島フリマントル(オーストラリア)ベルーガエース

オーストラリア・フリマントルに寄港中のしらせ。入港中には燃料補給や食料の補給、さらに南極観測隊員75名が乗艦。さらには南極観測隊のヘリも積み込み、南極へ向かっていく。

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しらせフリマントル(オーストラリア)

しらせは南極へ向かって出発していく。南極観測隊は国立極地研究所の職員や大学などの研究者で構成される。ここから20日間かけて昭和基地へと向かっていく。またしらせの船体には穴が空いているがこれは何のためのものかという問題が出題される。

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クリオネ国立極地研究所白瀬氷河

しらせの先端にある穴、これは氷の上にある雪を溶かす海水を出すための穴だという。1時間に15トンほどの海水を出し雪を溶かしていく。

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しらせ

南極の周囲には氷で埋め尽くされた海に加え暴風圏の危険エリアがある。こうした難所を超え昭和基地に向かっていく。暴風圏では船が53度傾くこともあったという。ちなみに今回のしらせは2代目、南極観測船としては4代目にあたる。南極観測は1956年に始まり、その際に使われた「宗谷」は海上保安庁が運用していた。そこから「ふじ」「初代しらせ」と観測船が変わっていく。現在のしらせは2009年から使用されている。

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ふじ宗谷昭和基地海上保安庁

日本出発から26日目、さらせは暴風圏に入っていく。甲板には乗組員・南極観測隊員が集まり海洋観測が開始される。最初の観測は海水を集め、潮の流れを観測する。クレーにゃウィンチを使い観測機を海に落としていく。その深さは500m、うねりも強いためワイヤーを調整していく。15分ほどして採取を終えると南極観測隊員が解析していく。またプランクトンの採取なども行っていく。

航海26日目、しらせは暴風圏や氷の海に入っていく。この日初めて氷山を観測する。隊員たちは南極に来たことを実感する。出港から31日目、波は激しくなり甲板への出入りが原則禁止となる。波は甲板を乗り越えてくる。そんな中、乗組員の1人が倉庫に物資などの固定に緩みがないか確認していく。またこの日観測隊と自衛隊で輸送のための会議が行われる。南極観測隊が越冬のために必要な物資は1145トン、越冬隊の荷物を優先するための計画が話し合われた。

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横須賀港

暴風圏を抜けると、雪が降りはじめ甲板に積もっていく。隊員たちはヘリポートなる甲板の雪かきを行う。

流氷域に入っていくしらせ。こうした氷河は船体を傷つけることもあるために、航行は細心の注意を払う。そんな中、船内では餅つきが行われた。南極に向けて隊員たちの力餅となるという

出港から35日目、しらせは巨大な氷の浮かぶ流氷域へ。そんな中、氷上でアデリーペンギンを発見する。しらせは氷を粉砕しながら進んでいく。甲板では観測隊がその様子を見るために集まった。そんな中艦橋の中では齋藤艦長がこの流氷域を超えるのに時間がかかるかもしれないと口にする。昭和基地までは200キロ、氷がなければ半日ほどでつけるが、おt機には立ち往生することもあるという。1.5mまでの厚さの氷を割ることができるが、それよりも厚い氷のの前でしらせは止まってしまう。するとしらせは後退し、勢いをつけて氷を割っていく。これを繰り返しながらしらせは進んでいく。しかし午後8時55分、しらせは完全に止まってしまり、さらには氷に流され後退してしまう。かつて第一次越冬隊を迎えに行った宗谷は昭和基地にたどり着けなかったこともあったという。白夜の中、しらせは我慢の時間が続く。流され始めて9時間、1キロも押し戻されてしまっている。しかし徐々に風が弱まり、前進できるようになってきた。航海長の小坂さんの顔にも笑顔が見える。氷との戦いに勝機が見え始めた頃、天気も好転し出した。流氷域を脱した隊員たちには笑顔を見せた。

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アデリーペンギンカラフト犬ジロタロチョロQ

昭和基地まで50キロ、ヘリのブレードが取り付けられた。航空管制の仕事をする知久さんは偵察フライトのための指示を出す。ヘリには艦長なども搭乗。鳥などとぶつからぬように配慮し、ヘリは飛び立った。偵察の結果、昭和基地の周辺まで進めると判断。しらせは昭和基地まで18キロのポイントを目指す。しらせは定積雪を溶かしながら着氷を割りながら進んでいく。基地から18キロ、ヘリで昭和基地へと上陸に入る。越冬隊向けの物資を載せ、ヘリは飛び立つ。

昭和基地まで18キロ、しらせは停泊しヘリで向かっていく。基地では越冬隊が迎えてくれた。日本を発って41日目、ついに一行は昭和基地に到着した。

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しらせ昭和基地

昭和基地は日本の南極観測の拠点で東京からは1万4000キロ離れている。日本の37倍の広さを誇る南極。氷の厚さは厚い所で4800mにも及ぶという。ただ昭和基地があるのは南極ではなく東オングル島という場所にある。この場所に基地を作った理由は、第二次世界大戦に敗戦国となった日本は許可が降りたのがこの場所だっったためだという。昭和基地建設は1957年、それ以降ほぼ毎年観測隊を派遣している。また日本の企業も参加している。現在30人が通年観測活動を行っている。基地での観測対象は気象、毎日定時に観測したデータは世界中に送られ、天気図の作成などに使われる。また隊員たちは4畳半ほどの個室で生活する。ここから2月11日までの間、約130人が生活する。

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東オングル島東京都第二次世界大戦

しらせからは急ぎで使いたいという物資から運ばれる。ヘリは3日間で30往復するという。また天候によってはロープ伝いの外出のみになる。

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