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- 有働由美子 吉永小百合 王貞治 木村拓哉 川淵三郎
有働由美子がオープニングの挨拶をした。各界のレジェンド スターに迫る。
有働由美子が福岡ソフトバンクホークスの王貞治取締役会長にインタビュー。1本足打法を始めた直後から現役引退まで18年間、使い続けたバットを紹介。王は、このバットの金属的な音が好きだったなどとコメント。いざと思って持つと全然重さを感じないとも話した。1本足打法で積み重ねたHR数は868本と世界記録。選手時代の巨人のユニホームと監督時代のソフトバンクのユニホームも紹介。
王貞治は、10回振ったら少しずつでも多く、いい感じのバットのスイングをしたいという思いがあったという。バットを持って振ったら、自然とそういうスイングになるところまで上げたいという気持ちはあったなどとコメント。王少年は中学時代、高校生中心の草野球チームである厩四ケープハーツに所属。70年前の試合を記録したスコアブックによると、王少年はエースで4番。チーム4安打のうち3安打が王少年が放った。高校は早稲田実業に進学。1957年4月、第29回選抜高校野球大会決勝にエースで4番として出場。早稲田実業の大会初優勝への原動力となった。1959年には契約金1800万円、月給12万円と当時の高卒新人としては破格の条件で巨人に入団。一本足打法を武器にHRを量産。1977年9月3日、756号ホームランを打ち、世界新記録を樹立。世界の王となった。
756号ホームランを打ち、世界新記録を樹立したことについて質問。王貞治は、とにかくファンの人が来てくれていたから早く打たなきゃと思っていたなどとコメント。打ったときは正直ホッとしたという。
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有働由美子は、王選手はすごいHRを打っても淡々と回られるし、特に悔しいみたいな表情をあまりされないイメージだったなどとコメント。王貞治は喜怒哀楽を表に出さない方だったなどとコメント。理由を聞かれると、中学高校時代に野球をやっていたとき、喜んでいると兄に相手の気持ちになってみろと言われたエピソードを話した。
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王貞治が背中を置い続けたスターがミスタージャイアンツこと長嶋茂雄。王は長嶋茂雄という存在について、心の中にすみついているなどとコメント。兄貴分みたいな存在だったという。王と長嶋はON砲としてプロ野球を国民的スポーツに定着させた。ジャイアンツファンフェスタ2024では握手。王は何とか長嶋さんに追いつけるように頑張ろうと思い励みになっていたという。中学時代、河川敷での試合中、右打ちで不調だった王に、次は左で打ってみたらどうだいと提案したのが、後に一本足打法を生み出す毎日オリオンズの荒川博。巨人入団当初の王は三振王と揶揄された。入団3年目に、巨人の打撃コーチとして荒川が就任。一本足打法は振り遅れをなくすために生まれた。1962年、王は初めて一本足打法を披露。この年、初のホームラン王を獲得。
一本足打法が生まれるまでについて王貞治が語った。高校生とプロではボールの速さが違うので、どうしても詰まってしまった。バットの力がボールに伝わらなかったので、早めにバックスイングをした。早く振りだすと前で打てるようになり、HRやヒットを打てるようになった。少し早めに始動してボールを見てから打つくらいの意識をもっていたという。2年連続HR50本以上の大谷翔平には世界の王との共通点がある。王はボールとの距離感を大切にしている。
2年連続で50本以上の本塁打を放った大谷翔平。実は速いボールへの対策には、“世界の王”との共通点があるという。王は「フォームがあまり考えなくていい。ボールとの距離感が一番大事」などと語った。王に一本足打法を教えた荒川博コーチの日誌には、「朝に晩にフォームの矯正をし、特にバッターボックスに立った時に“巌の身”になるようにと練習した」とある。“巌の身”とは何事にも動じない心で、特訓は時に日付をまたぐまで続くという厳しいものだった。王は「最後に『これなら打てる』と言ってくれる。気分を盛り上げて終わってくれるから、長続きできた」などと語った。恩師・荒川から教わった“言葉のチカラ”は、次のステージでも支えとなったという。巨人を去った王が再びユニフォームを着たのは、ダイエーホークスの監督に就いた1994年。当時は万年Bクラスと言われ、就任後もなかなか結果が出ず、グラウンドに発煙筒が投げ込まれたり、移動バスに生卵を投げつけられることもあった。当時の苦悩について王は「上位になるのは難しい。ジャイアンツ時代は感じなかった」などと述べた。1999年9月、就任5年で初のリーグ優勝を果たした。弱小チームは常勝軍団へと変貌を遂げた。
福岡ソフトバンクホークス・王貞治球団会長に話を聞く。今やホークスといえば常勝球団になってますけど王貞治が監督に就任した当時、パ・リーグで17年連続Bクラスであった。王は選手の意識改革を最優先に行ったといい「何のためにやるかっていったらやっぱり勝つためにやるんだと。やっぱりファンの人も、勝った時が一番喜んでくれる」と訴えたという。そのために「選手たちもサヨナラヒットを打ったりピンチを切り抜けたりで喜ぶ姿がある。結局、ダメだダメだは一切言わない。やっぱり、その気にさせないと。やっぱりねダメだダメだって言ったってちっとも伸びない。毎日毎日やってるのにやはり結果が出ないと練習も乗り気になれませんし。だから、まず結果を出すためにはもう選手をその気にさせるっていう点でやはり指導する人っていうのは言葉をうまくしなければいけない。僕はコーチだけじゃなくてある程度、大人っていうのは話術が必要ではないか」とコメントした。
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85歳となった王貞治、その情熱は未来へと向けられている。去年11月、未就学児や小学生800人を対象とした野球体験イベントを開催。プロ野球界だけでなくアマチュアや女子野球界も協力し、日本の野球界が一丸となった取り組みだった。こうした取り組みの元となっているのが王さんが12球団のオーナーに自らかけ合って立ち上げたプロジェクト。更なる野球の発展を目指した、その名も「王貞治、大谷翔平を超える世界的ヒーローを生み出そう! BEYOND OH!PROJECT」。王は「まあとにかく今、少子化とか、スポーツ多様化とかっていうのがある。これはサッカーでも、ラグビーでもバスケットでもねバレーボールでも、みんなそういうものは一緒だと思う。ただ、今後を考えた時にはやっぱり野球界は野球界で結束する必要があるんじゃないかと。そのためには意見交換ができる場を作りましょうと。そうすれば50年後も100年後も野球は野球として日本の野球というか、日本のスポーツのファンの人の気持ちの中にすみ続けていけるだろう」と述べた。さらに大谷翔平について王は「大谷君は、もう全然ずぬけてますからねだって、グラウンドへ行って相手のチームにもね、あいさつをして審判にも、あいさつして。それもね、彼がやるのはさりげなくやる。わざとらしさがないからだからアメリカの選手たちもそれを受け入れちゃって彼らもそういうことをやるようになって。だから大谷君はプレーだけじゃなくていろいろ、やってることがアメリカの選手にも影響を与えてるという、これは、もうすごい。もう彼のような選手は野球の成績も素晴らしい、人となりも素晴らしい、それから相手に受け入れてもらうっていうそういったことも素晴らしい」と評価した。
今、大谷や山本らの活躍で2連覇を成し遂げたドジャース大谷が参加するWBCなど盛り上がりを見せる野球界。王さんはヒーローについて「どっちかというと作るっていうよりも生まれるものだと思う。だけど、生まれるにもやっぱり環境が必要。生まれやすい環境を作ろうじゃないかっていうのは野球界が結束し、やっぱり小さい人から野球をやらせる時にもやっぱり指導をする人たちが指導の資格をしっかり持って。どなたに教わっても同じことが教わるっていうような形がまだないから、どうやったら、どう接したらいいかっていうことをね、少し研究してみんなで、そういうのをしっかり守りながらやっていこうと」とコメント。また「大谷君にもね今、現役だけど将来的には協力してもらったりなんかして、とにかく野球のOBっていうのがたくさんいるから」とコメントした。これまで30回以上、開催している世界少年野球大会これも王さんが1990年に設立したライフワークの1つです王さんには大会を通じて野球の発展や普及更に、人種を超えた親善の輪も広げたいという思いがあった。最後に有働が「王さんにとって野球って何ですか。」と質問すると「野球は飽きない。僕は他のことは飽きっぽいですけど野球は飽きない。だから今でも野球を考えるとね胸が高鳴るしやっぱりときめく。」と答えた。
有働由美子と木村拓哉が対談。53歳の誕生日だという木村に有働が花束を持って祝福した。有働が「自分がこう昔、若いころ思ってた自分の50代と今なってみてどうなのか?」と質問。木村は「自分がガキだったころの当時の自分と比べたら、50代の方はもう本当に話すことだったりとか一緒にこうセッションさせていただくだけでも多分、ガチガチになってたと思うけど。実際、なってみるとそういう必要ないよっていう感じには今なってる。」と答えた。また「「キムタク」って呼ばれるの嫌だったのか?」という質問に「呼ばれ始めの時は何だそれって思ったけど今は全然」と答えた。また「かっこいい」と形容されることについては「うれしいけど無理しないでくださいねって思っちゃう」と答えた。
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俳優・木村拓哉は圧倒的な存在感と、そのカリスマ性で「平成を抱いた男」と呼ばれた。そんな彼があの名作に込めた思い、トップスター故の葛藤、支えとなる家族の存在、そして決断の背景にあったものとは。。
有働由美子と木村拓哉が対談。「アイドルと言われることは嫌だったのか?」という質問に木村は 「ちょっと」と答えた。国民的アイドルと呼ばれたことについて「確か自分で言い出したですよ、グループ内の誰かが、余計なこと言うなと思った。」とコメントした。1972年、東京で生まれた木村拓哉は15歳の時に事務所に入り、次の年SMAPのメンバーになった。「世界に一つだけの花」「夜空ノムコウ」など多くのヒット曲を生み出す一方、主演ドラマは高視聴率を記録。その影響力はすさまじく、街には木村をまねした男性があふれていた。
有働由美子が木村拓哉の結婚会見について「あのころ国民的なスターが結婚するとかそれを言うっていうことってちょっとなかった。相当な覚悟が必要だったんじゃないかって思ったが。」と質問すると木村は「逆にあそこでやらないっていう選択をしたらそれこそ本当に自分にいろんな気持ちを向けてくれてるファンの皆さんに対しても失礼なことだと思うし。嘘つき続けるみたいなことになると思うので、それは変かなと思った」と答えた。いま、2人の娘も芸能界で活躍しているが、木村自身は「やりたいって彼女たちが思っていることをやるべきだと思う。」とコメント。また娘さんがインスタで「結婚するならトトより格好いい人」って話していたことについて「言う前に考えたんだろうなっていう。 何て言うかバックステージは感じた」と答えた。
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木村さんは数々の名作ドラマを世に送り出した。平均視聴率30%超えの作品、最高視聴率が40%を超えた放送回もある。そのブレークのきっかけとなったのが「あすなろ白書」。しかし木村は「言われたとおりにやったんであの辺は俳優とは言えない」と謙遜。「「考えられてたスタッフの、多分手腕じゃないですか」とコメントした。。周囲に支えられ力をつけていった木村は社会現象を巻き起こす「Long Vacation」に出演。有働は「クライマックスの手前、ピアノコンクール優勝して南を追いかけていく場面で、あの時に脇腹を押さえながら走ってる。別に、全力で好きな人を追いかけてもいいじゃないですか。でも、確かにピアニストだと思った」と感想を語ると木村は「普段、音楽にしか向き合ってないやつがそこまで、だって走り慣れてないかなとは思うし。走ってみたら、痛ってことになったんじゃないかなと思って多分やってたと思う」とコメントした。そして2000年、高視聴率を記録し大ブームとなったのが「Beautifle Life」。木村演じる売れっ子美容師と病で車椅子生活を送る図書館司書のラブストーリー。ほかにもパイロット、警察、弁護士、医者いろんな職業を演じることについて、有働は「職業を演じる時に嘘っぽく見えないようにするためってどういう準備をするのか?」と質問。木村は「嘘っぽくの前に、その本職の方に失礼なことしたくないなっていうのがまずある。実際その場にいる方たちってこんなことしねえよっていうことを何か、したくないというか、それを皆さんに知っていただくんだったら本当にやってらっしゃる方たちが『はいはい、はいはい』っていうああ、はいはいっていう、何かこう一番アグリーしてくれる感じをやっぱ、やってみたいって思う」と答えた。
木村拓哉はこれまで、山田洋次や宮崎駿など日本を代表する監督にその演技を認められてきた。木村さんの俳優としての出発点それは演出家・蜷川幸雄さんとの出会いだった。木村はsもともと、デビュー前に蜷川さんの「盲導犬」っていう舞台を経験したが、稽古場に入って最初の1週間は一度も見てくれなかったと振り返った。その時は桃井かおりが一緒だったのでよく、いろいろ「何やってんのさ」って言って背中を押してもらったというう。当時は本当に遊び感覚だったが、キャーではなく拍手をいただくっていう経験をそこでさせていただいて初めてスイッチ入ったという。
昨年公開の最新作「TOKYOタクシー」では木村拓哉演じる個人タクシーの運転手と、倍賞千恵子演じる人生の終末へ向かう女性が繰り広げるヒューマンドラマ。木村は「山田洋次監督が、また引き続き何かを作るっていうところに来てくれないかなって言ってくれた時点でそれは動くべきって自分は思ったし、行った先が、こうこうこうで個人タクシーやってて夜勤明けで、ようやく大きくなってきた家族を笑わせることが今後もできるのか。何か、すごい低温から始まって最終的には何か一度そのストーリーとしては沸点を迎えるですけど最終的には本当に心地いい芯まで温まる感じの温度にそういう火加減の作品だなっていうふうに思った」とコメントした。。
木村拓哉は役の見せ方について「見え方とかは考えたことがない」などと語った。木村はこれまで数多くの職業を演じてきた。年齢を重ねた今、従来のイメージとは異なるキャラクターを演じている。調子に乗らない教えは、「俺たち生かされてんだぞ」という言葉だった。「TOKYOタクシー」でも共演した明石家さんまの言葉が心の支えになったという。木村はグループ解散後に「オールドルーキーめっちゃかっこええやんけ」と言われたという。
2016年にSMAPは解散。個人の活動になって間もなく10年。木村拓哉が「要はチーム名じゃないから。クッションがない感じ」などとコメントした。事務所に残るということについては「出ても出なくても出来ることは出来る」という。木村拓哉にとってスターとは、「光り輝くものではない」などと話した。
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