2026年1月3日放送 7:00 - 10:00 テレビ朝日

有働Times
新春SP 永久保存版

出演者
有働由美子 吉永小百合 王貞治 木村拓哉 川淵三郎 
吉永小百合
映画 年間16本…過酷なスケジュール/若き日の葛藤…「死」に対する考え/役とのギャップに悩んだ日々

“国民的女優”などと呼ばれてきた吉永小百合。1945年3月13日に3人姉妹の次女として誕生した。学芸会で主役として喝采を浴び、卒業文集には「映画俳ゆうになりたいと思う」などと書いていた。14歳で映画に初出演。15歳で映画会社「日活」と専属契約を結んだ。「キューポラのある街」で人気を不動のものにした。川口市を舞台に職人の娘として貧しくも健気に生きる主人公を演じた。

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吉永小百合にインタビュー。当時は年間16本に出演していた。撮影所の控室で休んで朝からロケに出ることが多くあったという。吉永は「大変な時期だったけどほとんど病気をせず何とか続けられた」などと述べた。当時の日記には「魂の抜けた人形みたいな私」などと表現していた。死にも憧れていた時期もあったという。吉永は「一番最初の頃と少し違う役もやるようになって一体自分って何だろうと見つめ出した頃かもしれない」などとコメントした。1964年公開の「愛と死をみつめて」では吉永は軟骨肉腫に侵され21年で生涯を終えた女性を演じた。役とのギャップに悩んだ日々だった。親と別れる決断をしたという。1973年、吉永は28歳で年上のテレビディレクターである岡田太郎さんと結婚を発表した。披露宴に両親の姿は無かった。両親は結婚に反対だったという。

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“家出”電撃結婚…“新たな自分”への憧れ/50余年の結婚生活を振り返って…/最愛の夫との分かれ…現在は…/俳優・高倉健さんとの出会い/撮影で感じた“高倉健さんの役者魂”/“1人でこなす”吉永流仕事との向き合い

1973年、28歳の吉永小百合は年上のテレビディレクターである岡田太郎と結婚をした。両親は結婚に反対だったという。吉永は「“名字”を変えないと新しい自分が生まれないっていうところもあった」、「“吉永小百合”という名前が重い」、「親に対してはとても残酷なことをした」などと語った。2023年ハワイで撮影された写真を紹介した。穏やかな夫婦の姿があった。50余年の結婚生活を振り返り吉永は「金婚式を迎えることができて、ハワイの島へ行って2人で1週間を過ごすことができた」、「非常に広い考え方を持っている」、「必ず映画館で映画を観てくれた。感想は絶対に私を傷つけない」などと話した。2023年の年末に岡田さんに“がん”が発覚、2024年9月に亡くなった。吉永は「ちょっとまだ受け止めきれない。自分がどれだけ前へ向かって生きていくか…1つのテーマ」などと語った。

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小百合という名前から小さな百の出合いを大切にしてきた吉永。高倉健さんと初めて共演した映画「動乱」。五一五事件から二・二六事件までの昭和を舞台に首謀者となった青年将校と妻の愛と生き様を描いた作品。吉永は日活を中心に出演していたが、初めて東映の撮影に行ったという。吉永は「高倉さんの役作りが半端じゃない」、「胸がいっぱいになって高倉さんに抱きついてしまった」、「私はそういう意味では幸運でした」などと語った。自分で出演する作品を決めつつ事務仕事もこなすようになった吉永は「失敗しても私自身に返ってくる」、「人のせいにしたくない」、「自分が考えなければいけないことは自分で考えて手紙で返信することもある」などと話した。

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俳優・樹木希林さんとの出会い/忘れ得ぬ人…希林さんとの交流/樹木希林さんとのプライベートでの会話は?/吉永さんは普段電車で移動!?/吉永小百合流「美容と健康」/通算124本目の映画で新たな挑戦

吉永は俳優・樹木希林さんと交流を深めていく。2人を近づけたのは「夢千代日記」。原爆の体内被曝による病に苦しみながらもひたむきに生きる夢千代の生き様と温泉街の人々の人間模様を描いた。夢千代が息を引き取るラストシーンではセリフを巡り意見が対立し撮影が中断となったという。1日近く監督と話し合う中で希林さんも待っていてくれ、「アンタ偉いよ。自分の思いを通したんだから」と述べてくれたという。希林さんが亡くなった時は内田也哉子さんが連絡をくれたという。吉永は「ご自分の生きる路を全うされたと思う」などと述べた。2人でご飯に行くと俗っぽい話をするという。家族ぐるみの付き合いとなった希林さんはマンションを勧めてきたが電車で移動する吉永は断ったという。

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吉永は普段電車で移動するという。電車では人間模様を見たりするという。美容と健康について吉永は「週1回のジムのトレーニング。スクワットを60回」、「歩くことが基本」、「美容については余分なものはつけない」、お酒について「今はほとんどいただかない」などと語った。去年10月、自身124本目の作品が公開された。吉永の新作「てっぺんの向こうにあなたがいる」は女性初のエベレスト登頂をした登山家・田部井淳子さんをモデルにした物語。田部井さんの晩年を演じている。吉永のラジオ番組に出演した田部井さんの話が楽しくてファンになってしまったという。

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通算124本目の映画で新たな挑戦/原爆詩の朗読と被災地への思い

去年10月、自身124本目の作品が公開された吉永小百合。ピアスは映画のために開けたという。田部井は福島出身で、今回福島弁で演じることを吉永が提案した。俳優業の傍ら、吉永がライフワークとしてボランティアで行っているのが原爆誌の朗読。1986年から39年間続く朗読は原爆だけではなく東日本大震災で被害に遭った福島の人々の詩もとりあげ、被災者の想いに寄り添いながら想いを重ねるように行われている。「自分なりの想いとかを語って、若い人たちがそれを受け止めてくれたらということを願って。私たち俳優もできることをやっていく」などとコメントした。去年、80歳を迎えた吉永。今回の作品では死と向き合いながら賢明に生きる女性を演じている。吉永が今思う最期の迎え方は、「できれば自然な形で自分の命を全うしたい」という。

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俳優・吉永小百合のこれから

俳優・吉永小百合のこれからについて、「“死”をどう受け止めて最期を迎えるかということは考える。できれば自然な形で自分の命を全うしたい。良い映画は100年観てもらえると思うし、そういう作品をまたこれから目指していくことで、それが出来ればプロなのかと思う。生きることに一生懸命な人がいい。自分の生きる道というのはしっかりと自分で地に足をつけて前に歩いていってそこで果てるのがいい」などとコメントした。

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川淵三郎
川淵さんがみる現在の“日本サッカー”/“日本代表チーム”W杯初出場の瞬間は…/“Jリーグの原点”ドイツで見た光景

川淵三郎が趣味だという三味線で「黒田節」を演奏。昨年のバーレーン戦で8大会連続のW杯出場を決め、今やサッカーW杯常連国となった日本。しかし、川淵が日本サッカー協会の強化委員長を務めていた1993年、勝てばワールドカップという一戦でのドーハの悲劇日本中が絶望感を味わった。4年後のフランス大会予選でもアジアの高い壁が立ちはだかった。勝ち切れない試合が続き加茂監督を更迭し、岡田新監督のもと、ワールドカップ初出場を決める「ジョホールバルの歓喜」を迎えた。

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川淵三郎は今の日本サッカーについて「僕なんかがね日本代表の戦術がどうの技術がどうのなんて言う資格全くない。今の選手のほうがよほど僕らよりも、僕よりもサッカーの、そういう知的能力は上で。だから選手に対して、もっとああしなきゃいけないんじゃないかもっと、こうしてほしいなってあんまり思うほうがおこがましい」と答えた。また「僕は初三笘が川崎フロンターレにいるころからあのスピードと、あのドリブルとああいうのは、やっぱり見てて本当に楽しいし、面白いし可能性を秘めてるなと思ったの。本当にね、感心するばっかり。今は、組織力その他含めて足の器用さ含めてやっぱり、あれだけヨーロッパに多くの選手が呼ばれて行くっていうのは日本人選手が、やっぱりサッカーに向いてるんだと思う」とコメントした。98年の当時「全ての風当たりはみんな僕のとこに来た。そういう時に胃がおかしくなって夜中、激痛が走ってもう起きてられなくなって病院に行ったら胆石だっていう。これは、もうねすぐ手術して取らないと。東南アジアなんか行って痛くなると病院で、いい手術がしてもらえるかどうか分かんないからすぐ手術したほうがいいっつってジョホールバルには行ってない」と明かした。その上で「岡野が決勝点を入れた時に女房と娘と3人でね涙、流して抱き合った。サッカーで涙、流して抱き合ったのあれが1回だけ。でも、ショックの大きさからすれば勝った喜びの大きなショックよりもドーハの悲劇のほうがよっぽど大きい。ドーハの悲劇があったから今、日本のサッカーあると僕は思ってる。」と答えた。

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1936年、大阪府で生まれた川淵さん高校1年生でサッカーを始めると大学時代に日本代表に初選出1964年の東京オリンピックではアルゼンチン戦でゴールを決めた。1ゴール1アシストの活躍で日本のベスト8進出に貢献「槍の川淵」と評された。引退後はクラブチームや日本代表で監督を歴任その後は会社員に専念した時期もあるが51歳の時。日本サッカーのプロ化を目指し、空席が目立っていた当時のスタジアムを目の当たりにして川淵さんは勤めていた会社を辞めてまで改革を決意します当時は、プロ野球のようにスポンサー企業が前面に出て、チームを運営する企業スポーツが一般的だった。対して、川淵さんは地域に根ざしたスポーツクラブをJリーグの理念にクラブ名には、地域の名前を入れ企業名を前面に出さない方針を打ち出した。新たなマーケティング手法も次々導入し開幕前から注目を集めていった。開幕戦は前売りチケット4万枚に対し応募数は78万件以上。サッカーが、日本の人気スポーツへと変わっていく瞬間だった。そんな川淵が20代にドイツに行った時にスケッチした絵や写真を紹介した。

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デュッセルドルフ(ドイツ)ヴェルディ川崎古河電工大阪府日本サッカーリーグ日本プロサッカーリーグ東京オリンピック横浜マリノス渡邉恒雄
“日本サッカー改革”への反発/日本サッカーの未来を変えた“川淵vs渡邉恒雄氏”/“恩人”渡邉恒雄氏とのその後…/怒りの“バスケットボール改革”/経験が活きた“Bリーグ”立ち上げ/プロスポーツ立ち上げ請負人が願う未来

川淵三郎が特に対立したのがヴェルディ川崎の親会社、読売新聞の社長でありプロ野球界でも大きな発言力があった渡邉恒雄だった。企業を全面に押し出してチームを作ってきた渡邉と、企業名を禁止し地域密着のクラブを目指す川淵。激しい応酬が連日のようにメディアを賑わせていた。渡邉がいたからJリーグの理念を世間に理解してもらえることができたという。川淵は渡邉との論争を通じて浸透させていった。

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スポーツニッポンニュースステーションヴェルディ川崎久米宏日刊スポーツ日本プロサッカーリーグ渡邉恒雄読売新聞社

日本サッカーを人気スポーツに押し上げた川淵は次にバスケットボール界の改革に取り組んだ。当時、日本のバスケットボール界には男子に2つのリーグが存在していた。国際バスケットボール連盟はNBLとbjリーグを統一するように求めてきたが長年実現できず、男女ともに国際試合への出場は認めないと処分を下した。リオデジャネイロオリンピックの予選まで1年をきったタイミングだった。改革すべきは収入源だった。企業が資金面をサポートし収益を重視しなかったNBL、bjリーグは規模が小さく収益の少なさに苦しんでいた。各チームに5000人規模のホームアリーナの確保を求めた。川淵のリーダーシップでリーグ統一にめどがつき世界の舞台へ。その後のバスケットボール界躍進の礎となった。川淵は「今の若い人のセンスと僕らのセンスは根本的に違う」などと語った。WEリーグについては最初は断固反対だったという。

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2023年FIBAバスケットボール・ワールドカップbjリーグNBLWEリーグジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグライジングゼファーフクオカリオデジャネイロオリンピック仙台89ERS国際バスケットボール連盟日本サッカー協会日本バスケットボール協会日本プロサッカーリーグ日立サンロッカーズ東京東京オリンピック東芝ブレイブサンダース神奈川沖縄県
献身的に支えてくれた妻・康子さん

JリーグとBリーグを成功に導いた川淵は3年前、文化勲章が贈られた。スポーツ界では長嶋茂雄氏以来3人目の文化勲章だった。国立競技場で開かれた祝う会で川淵は妻・康子さんへの感謝を述べた。川淵は「家内がいないと今の僕はなかったと言ってもいいと思う」などと話した。88歳の川淵は三味線に挑戦したいという。

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ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ国立競技場川合俊一川淵康子憲仁親王妃久子文化勲章日本バレーボール協会日本プロサッカーリーグ森保一自由民主党長嶋茂雄麻生太郎
(エンディング)
エンディング

有働は「本当に改めてその言葉に勉強させていただくことばかりだった」などと話した。黒柳徹子は言葉を引き出すインタビュー力。松井秀喜は世界に挑む「絆」と「精神力」。水谷豊は名優たちと紡いだ無二の演技力。萩本欽一は国民的スターが歩んだアドリブ人生。王貞治はチームを強くする言葉の力。木村拓哉は圧倒的存在感唯一無二の表現者。吉永小百合は喜び苦悩波乱万丈の俳優人生。川淵三郎はプロスポーツ立ち上げ請負人。通常の「有働Times」は明日からスタート。

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