- 出演者
- 渡邊佐和子 佐藤二朗 Mr.マリック
3年に1度、マジック界のオリンピック「FISM」が催されるが、日本人のマジシャンは毎回のように優勝争いに加わる。22年にはクロースアップ部門で1位、3位に輝いている。今回、日本のマジックの歴史を調査する。
オープニング映像が流れた。
日本は江戸時代から世界最先端の手品大国だったといい、佐藤二朗は「にわかには信じがたい」と吐露した。手品の歴史はあまり研究されてこなかったという。
江戸時代後期の史料で、尾張藩士が地元の風俗について記したものに手品の記述がある。水を張った桶に演者が飛び込み、桶には蓋をする。幕が降ろされ、再び上がると蓋はそのままなのに演者が飛び出しているという、現代で言うところの水中脱出マジックといえる。”脱出王”と称されたハリー・フーディーニが考案したと思われたが、江戸時代の日本のほうが早かったという手品の歴史を塗り替える大発見だった。
江戸時代の手品の史料は200種類以上にのぼり、女性の手品師も活躍していた。馬をまるごと飲み込むという手品もあり、呑馬術と呼ばれたが、今もトリックはわかっていない。また、日本でパスポートの発給が始まったのは1866年で、身体的な特徴が文字で記されている。最初に取得したのは浪五郎という人物だったが、手品師だった。目的地はアメリカで、各地で興行を行った。その後はヨーロッパを渡り歩いた。絶大な人気を誇った演目はバタフライで、紙で作った蝶を扇子で飛ばした。
Mr.マリックはマジックの歴史を研究しているが、水中脱出マジックが行われたのは日本が最初だったとは驚きだったという。”脱出王”と称されたハリー・フーディーニに憧れ、初代引田天功が脱出マジックをし、その引田に憧れていたのはMr.マリック。江戸時代にはスプーン曲げではなく火箸曲げが行われ、Mr.マリックは「当時のマジックは素晴らしい」と話す。江戸時代のマジックからインスピレーションを受けているというMr.マリックは花弁を卵に変える手品を披露した。
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- ハリー・フーディーニ引田天功[初代]
平和な時代が長きにわたって続いた江戸時代、豊後国で年に1度、開催された市では多くの仮設小屋が建てられた。歌舞伎、曲芸、手品などが披露された。日本ならではの演目に「紙うどん」があった。また、手品の解説本も出版されていた。横山泰子教授は「タネ、仕掛けがある前提だから、安心して見ていられる。全然分からないまま、不思議な現象を見せられると、怖いこと、恐ろしいことになりかねなかった」と話す。今昔物語集には手品を演じた者は化け物と記されていた。手品の解説本により、手品は妖しい術から娯楽へと花開いた。
手品のタネ明かし本は150種類以上確認され、本格的なもの、宴会における一発芸も紹介されている。
江戸庶民の庶民は宴席に妖怪を呼び寄せるという一発芸を行っていたという。顔にホタルを貼り、消し炭を咥えて、三つ目妖怪を再現。天狗の表現にはやかんを使っていたという。
Mr.マリックはタネ明かし本が出されても、別の手品を開発するという切磋琢磨がマジックの発展に繋がったと話す。現代では15秒に1個、新たなマジックが生まれているという。
手品、歌舞伎には多くの共通点があり、蜘蛛の妖怪が登場する「土蜘」では蜘蛛の糸を繰り出す場面があるが、「紙うどん」で使われた道具を採用している。アッと驚かせる演出はケレンと呼ばれた。手品好きで知られる歌舞伎役者、松本幸四郎氏は「初演でどれだけお客様に興味を持って貰えるか、楽しんでいただけるか。役者がいるし、芝居を書く人もいるし、振り付けをする人もいる。手品を仕掛ける、仕掛け屋という担当があったらしい」と語った。松本氏も手品の手法を取り入れた新たな表現を模索していて、新作では人体切断マジックを応用している。
からくり人形の技術は江戸時代に花開き、精巧な人形が次々と登場した。手品で使われる様々な道具の制作者にはからくり人形師もいた。鈴木一義氏によると、弓曳童子が矢を外したように、日本のからくり人形は失敗するといい、手品のように観る人を驚かせ、楽しみを与えるという。エンターテイメントを追求する遊び心こそ、手品の提供だと考えられるという。
わざと失敗することで観客を引き付ける演出は「サッカートリック」と呼ばれる。Mr.マリックは「江戸時代の人々はそれに気づいていた」と舌を巻ていた。手先が不器用だという佐藤二朗に対して、Mr.マリックは「思い込んでいるだけ」と励まし、マジックの習得を勧めた。
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- サッカートリック
歴史探偵の次回予告。