- 出演者
- 渡邊佐和子 佐藤二朗 河合敦
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京都の本法寺は本阿弥家が代々帰依してきた菩提寺で、本阿弥光悦にまつわる品を数多く所蔵している。光悦は江戸時代初期の書の達人、寛永の三筆に数えられ、螺鈿細工などデザイン性のある工芸品も生み出した。加えて、広さ200坪ほどの庭園では線が入った丸石で日、池の蓮で日蓮を表現しているという。
心理学者の石津智大教授は人が芸術を見た時、どう感じるのかを研究している。人は違和感のあるものを目にすると、「何故、こうなっている?」と理由を探し、注意が惹きつけられるという。本阿弥光悦は異様に膨らんだ形状の「舟橋蒔絵硯箱」で、鑑賞者の脳を刺激し、注意をより惹きつけていたという。また、無意味と思っていたものを突如として理解し、意味を見出した瞬間は「アハ体験」と呼ばれる。光悦の「舟橋蒔絵硯箱」には後撰和歌集の和歌が記されているが、実は「舟橋」というワードだけ欠落している。ただ、舟、橋は蓋に散りばめられた和歌の背景にしっかり表現されている。
本阿弥光悦の「舟橋蒔絵硯箱」は異様に膨らんだ形状をしているが、鑑賞する角度によってはアーチ型の橋に見える。佐藤二朗は脳が活性化するのを感じるという。本阿弥光悦は色々な人から学んだ芸術に独自の工夫を凝らし、斬新な芸術を生み出していった。
本阿弥家では本阿弥光徳が豊臣秀吉から拝領した短刀が代々受け継がれ、国宝に指定されている。光徳は光悦のいとこにあたる。本阿弥家は刀剣の研ぎ、鑑定を行う一族で、豊臣政権のもとで活躍した。今も研ぎを家業とし、19代目の雅夫氏も日夜、刀剣を磨き続ける。研ぎによって、刀の顔にあたる刃文が際立つ。家業を通して地金は夜空に広がる満点の星、刃文は山容や波濤と、審美眼が培われたという。
室町時代の2振りの刀剣が用意されたが、それぞれ1千万円以上するという。うち1本の刃文は鮮やかに波打ち、もう一方は鏡のような表面のなかに細やかな模様が見て取れる。本阿弥家では「地金は秋の澄んだ空の如く、青黒く研ぐ」、「刃文は松に積もった雪のごとく、ふんわりと」といった言葉が伝わっている。河合敦氏は本阿弥光悦の母親の教育法を紹介。善行には喜んで褒め称え、悪いことをした時には他人の前では叱責せず、陰に呼んで優しく諭したとされる。
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- 本阿弥光悦
1615年、58歳だった本阿弥光悦は徳川家康から京都の鷹峯を拝領された。京都の市街地からは離れ、治安も良くなかったとされる。ただ、光悦を慕う職人たちが移住し、信仰と芸術が根ざした村が出来上がっていた。光悦は職人たちに指示をしながら、多様な美術品を創作していたという。河野元昭名誉教授は本阿弥光悦について、「クリエイターだけれども、アートディレクターでもあった」と評する。晩年は手が震えるなか、茶碗作りに励んでいたという。「赤楽茶碗 銘 雪峯」では器に入った割れをあえて金で装飾し、強調している。「白楽茶碗 銘 不二山」は様々な偶然の産物によって生まれ、光悦は雪をいただく富士山を見出した。
スタジオには本阿弥光悦が晩年に手掛けた茶碗の写しが用意された。光悦は作品を通して富士山を見出し、愛娘が嫁ぐ時に嫁ぎ先に贈呈したとされる。為政者によって追い払われたかもしれないが、佐藤二朗は「頭の中の自由は奪えない」と思ったという。光悦を原点とする流派は琳派と呼ばれ、ジャポニスムの美として西洋美術にも影響を与えた。
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- 本阿弥光悦白楽茶碗 銘 不二山
「歴史探偵」の次回予告。