- 出演者
- バカリズム 杉原千尋
せま~い歴史の起源を発掘する新コーナー。ドッキリ番組の落とし穴の始まりを紹介。49年前の1975年3月13日、日本テレビの木曜スペシャルから始まった。雪の中で落とし穴を掘り、番組スタッフが次々と落ちていた。芸能人第1号は宍戸錠だった。ここから落とし穴はさらに深く大きくなっていき、ウレタンを敷き詰めるようになった。落ちた人が重くなるように小麦粉も入れてある。1970年8月1日のテレビ欄に「落とし穴」の文字があったが映像は見つかっていない。
音楽番組スモーク演出の始まりは今から49年前の1975年「夜のヒットスタジオ」。事情があり始まりの映像は流せなかったが、初期のスモーク演出の映像を伝えた。ドライアイスをお湯に通し発生した煙を使っている。
めざましじゃんけんの始まりは今から11年前の2013年1月7日、お天気キャスターの長野美郷だった。芸能人ゲスト第1号は剛力彩芽だった。1番多いのは俳優だと29回で長澤まさみ、芸人だと22回でチョコレートプラネット、アニメキャラだと25回で竈門炭治郎だった。
放送NG発言隠しの始まりは今から36年前の1988年3月29日の「鶴瓶上岡パペポTV」。笑福亭鶴瓶がバイクで通った人に放送できない発言をし、番組概要と音で隠した。さらに隠し方にも工夫をこらし、音声を消し口元を黒で隠したりするようになった。発明したディレクターによるとさらに2~3年前の関西ローカルの特番で「ブヒブヒ」の音で隠した記憶があるとのことだった。
ドッキリ番組でマンボBGMをループする演出の始まりは今から47年前の1977年1月6日「スターどっきり(秘)報告」。小野ヤスシがジェットコースターに乗りながら書き初めをした映像にマンボBGMをのせ、映像をループさせた。演出だった渡邉さんによると、日本で初めてジェットコースターにカメラを乗せたロケだったため良いリアクションをたくさん見せたいという思いから巻き戻しやスローを駆使しマンボBGMが一番気持ちよくハマったという。
「電車で寝ていた女性がおじさんのよだれを吸うエピソード」の始まりを紹介。電車で座って寝ている女性の前で吊り革を持ってウトウトしていたおじさんのよだれが女性の手に直撃し、寝ていた女性は自分のよだれと勘違いしてなめて拭き取ったというエピソード。色んな人が語りすぎて誰のオリジナルエピソードかがわからなくなっている。直近で披露されたのは2019年7月9日の「ザ!世界仰天ニュース」。ある女性タレントがおじさんのよだれ吸いエピソードを語った。女性タレントに取材を依頼したが返事はノーコメントだった。2019年1月31日「じっくり聞いタロウ」でTKO木本が寝ていた女性おじさんのよだれ吸いエピソードを語った。木本にアンケートとるとマネージャーに教えてもらったとのこと。マネージャーに取材依頼するとノーコメントだった。2018年8月20日「5時に夢中!」にてダイアナ・エクストラバガンザが寝ていた女性おじさんのよだれ吸いエピソードを語った。なぜこのエピソードを語ったのか映像を見てもらったが「一切記憶にない」との回答だった。2016年にはマックスむらいのYouTubeで一般の方からよだれエピソードが投稿された。2014年のアメトーーク!でもある芸人がよだれエピソードを披露。いつどこで見たエピソードか聞くも返事はノーコメントだった。2013年12月20日に発売された漫画「ばくおん!!」では、立って寝ていた女子高生のよだれが前に座って寝ていた女の子の手に垂れ女の子が舐めるというエピソードがあった。2009年1月22日にはYahoo!知恵袋に女性おじさんのよだれ吸いエピソードが書かれていた。さらに遡ると1994年1月4日「ライオンのごきげんよう」でよだれ吸いエピソードが話されていた。
1994年1月4日「ライオンのごきげんよう」で女性おじさんのよだれ吸いエピソードを最初に話したのは磯野貴理子だった。スタジオの森田はこのエピソードは 誰が話してもウケるので今後落語のような存在になっていくのではないかと話した。もっと前にこのエピソードを見た人は「#私のバカせまい史」をつけてツイート。
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以前放送した「犬神家の一族 スケキヨの足史」の反響を受け、今回は「スケキヨの目史」を調べた。歴代のスケキヨを比べると目の穴が大きくなったり小さくなったりしていた。
1976年と2006年では他の作品と比べてスケキヨの目が大きく目の周りに黒いメイクをしていた。2006年の監督補・手塚さんを取材すると、当時のスケキヨマスクを見せてもらうことができた。時を経て耳の部分からただれるように大きく溶け落ちていたが目の部分は残っていた。1976年と2006年両方とも市川崑監督がメガホンを取っている。1976年に小道具を担当した市丸さんのもとを訪ねると、最終台本を見せてもらうことができた。スケキヨマスクの制作者でもある安丸信行さんは生前、市川崑監督とスケキヨの目について「監督は始めは目の形など俳優のまぶたの縁に一致した切れ長の穴を望まれていましたが、何度も作るうちにぽっかり切り抜いた形でもこれはこれで悪くないと考えが変わった」「そのほうが不気味じゃないかって」と話している。
2006年にスケキヨを演じた尾上菊之助は「歌舞伎の舞台ではスケキヨのようなマスクを被ることはなかったので、声と目だけで感情を表現することは難しくもあり挑戦でした」「市川崑さんとご一緒できたことが大変勉強になりまた嬉しかったです」と番組のアンケートに答えた。1976年にスケキヨを演じたあおい輝彦は「監督から色つきのコンタクトレンズをつけようと打診されたが、自分の目の演技で魅せたいと申し出を拒否し妖気が漂う目の表現をする演技を心がけた」と話している。
1990年の作品ではスケキヨの目に涙袋ができていた。演じた石黒賢の顔で型を取ったからだった。次回作でもスケキヨを演じた椎名桔平の涙袋があった。スケキヨの目界隈では1990年代には涙袋ブームが起きていた。
1977年のスケキヨは小さな目をしており穴の大きさは約1センチ。当時のスタッフに取材しても覚えていなかった。演じた田村亮もわからないとのことだった。田村は「監督が声が大きくてエネルギッシュな方でした」と番組のアンケートに答えた。監督の工藤栄一は生前、映画について「筋書きとかテーマとかも大切だが技術的な冒険こそもっと重視しなくては」と語っている。生前の工藤監督を知る特殊美術の原口さんは「工藤さんらしい」「市川崑監督と同じにしたくない、クリエイティビティー、オリジナリティーが高い監督」などと話した。生前、工藤監督はインタビューで市川崑監督の映画版は全く見ていないと話している。原口さんが「ぶっ飛んでる」と語る1980年の工藤監督作品「影の軍団 服部半蔵」では忍者がアメフトのヘルメットと防具を付けているという。スケキヨの遺体があがるシーンでも背中に「スケキヨ」を書き、誰の遺体かわからせる演出をほどこした。スケキヨの目が小さくなったのも誰のマネもせず映画を遊ぶ工藤監督の信念だった。
1954年に公開された「犬神家の謎 悪魔は踊る」は最初に映画化された犬神家の映画。現存するフィルムがなくスケキヨの目の形はわからなかった。金田一耕助マニアの木魚庵さんはこの映画でスケキヨを演じた俳優・石井一雄の私物と思われる写真セットを手に入れた。
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金田一耕助マニアの木魚庵さんが入手した石井一雄の写真セットには、1954年「犬神家の謎 悪魔は踊る」でのスケキヨマスクが写っていた。その目はまぶたの形まで感じられるリアルな目をしていた。スタジオのヒコロヒーは次回はスケキヨの耳史を研究したいと話した。
私のバカせまい史の次回予告。
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