- 出演者
- 福澤朗 今田耕司 菅井友香 緒方耕一
オープニング映像。
今日のゲストは元プロ野球選手の緒方耕一。1968年熊本県で生まれ、小学生の頃から野球をはじめ、中学時代には九州大会で優勝。名門・熊本工業高校に進学し、3年時には春夏連続で甲子園に出場。1986年には読売ジャイアンツに入団。3年目に1軍デビューすると初ホームランはランニングホームラン。脚光を浴びた。1990年、93年には盗塁王に輝き、俊足のリードオフマンとして活躍。1998年に30歳で引退。その後、第2回WBCでは外野守備・走塁コーチに就任。現在は解説者として活躍中。2025年には学生野球資格回復制度に合格し、アマチュアの指導にも力を入れたいと考えているという。
緒方耕一のお宝は第2回 WBCの侍ジャパンのメンバーサイン入りTシャツ。原監督やイチロー、ダルビッシュ有などサインがある。相談役として全試合帯同した王監督のサインもあるとのこと。以前出演した伊東勤のWBCサイン入りユニフォームは200万円との鑑定だったが、サインは全員分揃っていたわけではなかった。伊東勤がサインをもらい忘れていた村田修一のサインも緒方耕一のシャツにはあり、全員分コンプリートされているとのこと。本人評価額は73万円だが、結果は50万円。ユニフォームと比べ、未使用のTシャツへのサインとなり伊東勤のものより評価額は下がった。ただ、伊東がサインをもらいそびれた村田修一のサインや追加招集された栗原健太のサインもあり、初の連覇を達成した日本代表の寄せ書きサインとして貴重などと鑑定結果が伝えられた。
埼玉県蕨市の依頼人賀村さんは乗り鉄。思い出深いのは本州・九州一周8日間の旅だという。8日間で約100時間乗車したという。お宝は昭和39年にデビューした夢の超特急にまつわるもの。
依頼人は埼玉県から来た賀村さん。お宝は昭和39年10月1日の新幹線開業日のひかり1号の特急券とこだま122号の特急券の切符2枚。当時は改札で切符を駅員にわたすものだったが、「ください」と言ったら貰えたという。
日本の象徴とも取れる新幹線だが、東海道新幹線は利用者は約70億人に対し乗車中の死亡事故は未だ0件と高い安全性が見られる。新幹線の計画が持ち上がったのは昭和30年ごろのことで、戦後の高度経済成長に湧き上がる中東京-大阪を結ぶ東海道線の輸送量も増加を続けていたことがある。この問題に国鉄総裁・十河信二は200kmで東京大阪間を結ぶプランを打ち出した。その課題は200近く山積したと言われているが、D51などを手掛けた伝説の鉄道技師・島秀雄は実現は可能と確信していたという。団子鼻と呼ばれた独特のフォルムは戦闘機の技術が活用され空気抵抗を減らす狙いがあったという。車輪が大きく揺れてしまう蛇行動は空気バネの技術で対応した。安全対策として自動列車制御システムも導入され、電気信号で列車のスピードを把握することで緊急停止した車両に近づくと自動的に減速できるようになっている。そして、試験走行では目標としていた200kmを超える256kmを記録した。光速にちなんだ超特急「ひかり」と特急「こだま」と命名され、東京五輪開幕を控え昭和39年10月1日に晴れて開業となった。そして、東京-大阪間を従来より2時間半短い時間で繋いだことで日本復興の象徴となったのだった。そして、依頼品は開業当日の切符であり、東京を6時に出発するひかり1号と、新大阪を17時30分に出発するこだま122号とある。座席番号は手書きであり時代の名残が感じられる一品となっている。
昭和39年10月1日当日のものという新幹線開業日の切符2枚。賀村さんは5万円と予想したが、評価額は8000円。寺田実氏は現存する物が多いことが理由として、ひかりのものは3000円・こだまのものは5000円としている。ひかりのものは保存している人が多いことから値段が下がるのだといい、紙が焼けていなければもう少し値段が付いたのではないかと話している。
今回の出張鑑定は徳島・海陽町が舞台。約4kmという全長の大里松原海岸はアカウミガメが産卵に来ることで知られ、観光船ブルーマリン号からは南海の宝石とも呼ばれ色とりどりの熱帯魚も来る透き通った海底を眺めることができる。バスであり列車である「DMV」が走るのも特徴で、車内では海部高校郷土芸能部による太鼓の演奏を楽しむことができる。エビや貝などを生きたまま焼いていく「海賊料理」も名物となっている。
海陽町の町長・三浦茂貴さんはDMVをPRしていきたいと話す様子を見せていて、D.W.ニコルズ「DMVのうた」というものもあると紹介。そして、三浦さんのお宝は岸派・岸岱の虎の屏風だという。三浦さんの先祖は材木を船で関西に持って行く仕事をしていたことからその際に買ってきたかいただいたのではないかという。三浦さんは99万円と予想したが、評価額は100万円。安河内眞美氏は晩年の作品と見られ、虎が丁寧に描かれているのが魅力的な作品と話した。
新居さんのお宝は、水瓶。鑑定団で似たような焼き物に高値がついたのを見たという。本人評価額は10万円。鑑定結果は、5万円。江戸時代後期ごろにつくられた水瓶だという。徳島の大谷焼である可能性があるという。
網干さんのお宝は、深海黒サンゴ。終戦後、台湾から引き上げてきた祖父が手土産として持ち帰ったものだという。本人評価額は5万円。
網干さんの祖父が終戦後、台湾から持ち帰った深海黒サンゴ。鑑定結果は、5万円だった。深海黒サンゴの原木で、水深100m~200mの深海に生息しているという。台湾やハワイが産地として有名で、アクセサリーなどに使われているという。赤サンゴなら数千万円はする大きさだという。
田中さんのお宝は、江戸時代後期から明治に活躍した徳島の日本画家・三木恒山の掛け軸。40年前、夫の実家で見つけたものだという。16年前、地元の博物館で開かれた三木恒山の展覧会で本物を見たところ、落款が一緒だったという。本人評価額は30万円。鑑定結果は3万円だった。本物の三木恒山の作品だという。徳島のお宝としては貴重だが、市場価値にすると3万円だという。
つるさんのお宝は、備前焼の金重陶陽の蓋置。茶道でお茶をたてる際、茶釜の蓋などを置くためのもの。30年ほど前、お茶を嗜んだ義母が知人からプレゼントされたという。知人は羽振りがよく、人に金を貸しては担保として様々な骨董品を手に入れていたと言い、これもそのひとつだという。一緒にあった借用書には60万円と書いてあったという。本人評価額は60万円。鑑定結果は35万円だった。本物の金重陶陽の作品だという。戦前、昭和初期につくられたものとみられる。
石川県野々市市の依頼人澤野旭さんは所属する澤野建設工房のモデルルームを紹介した。住宅を専門に手掛ける澤野建設工房は先祖の澤野幸松が創業し澤野さんは製材部の大工として所属、木材にこだわりがあり3年以上天然乾燥させた天然無垢材だけを使用し主流のコンピューター制御でなく墨汁で印をつける墨付けなどを行い昔ながらの伝統技術で家作りを行っている。依頼品は3代目吉雄さんの空き家になっていた住居を整理した際に発見、祖父が工事代金の一部として受け取った絵だということ。
前衛芸術の画家 今井俊満は1928年京都に生まれ旧制武蔵高等学校在学中に絵を習い始め才能が開花、シャガールを彷彿とさせる「真夜中の結婚」で入選、新作家賞を受賞した。24歳で単身パリに渡り太い輪郭で幾何学的に人物像に挑戦するなど独自の画風を模索するなかアンフォルメル(非定形)運動の推進者で美術評論家ミシェル・タピエと出会い画家人生が一転した。今井は筆を用いず絵の具をキャンパスに投げつけるなど試みて「私の色彩は人工的なものではなく地底から湧き出るような色の表現」とし具象や抽象の概念に収まらない圧倒的な画面を生み出した。1957年にアンフォルメルを知ってもらうため帰国すると美術界にアンフォルメル旋風が起こる。50代後半には金銀を用いて日本の豊かな自然を描く花鳥風月シリーズなど友禅染の方法を用いた。「ヴェネツィアに捧ぐ」は横6mの大作で朱色の着物の裏地を貼り付けるなどしている。白血病発症後も意欲は衰えず90年代後半には社会現象となった渋谷のコギャルを用いた作品などを発表している。依頼品は1986年の作品と1987年の作品。
依頼品の今井俊満の絵2点について高額となった場合は社員のボーナスとしたいなどと話した。
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依頼品今井俊満の絵2点を鑑定。本人評価額は500万円だったが結果は550万円だった。今井俊満の作品は国内外問わず評価が高い、今回は型紙を使って伝統的なモチーフを描かれたものだった、アンフォルメル時代の作品なら1点3000万円だったなどと解説した。
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