- 出演者
- 氷川きよし 長嶋一茂 上田晋也 羽鳥慎一 イモトアヤコ 水卜麻美 浜辺美波 志尊淳 永瀬廉(King & Prince) 高橋海人(King & Prince) やす子 横山裕(SUPER EIGHT)
市川ぼたん&新之助&羽鳥が大洗町でダーツの旅的インタビュー。大洗サンビーチで遊んでいる中学生たちに将来の夢を聞いた。紅あずまの畑を訪ねた。2人も芋掘りに挑戦した。
巨大アートがお披露目される。名曲「上を向いて歩こう」に乗せてゲゲゲの鬼太郎たちが未来へアートを届けに行く。
出演者たちが「上を向いて歩こう」を披露した。
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- 上を向いて歩こう
横山裕の子ども支援マラソンを中継。現在の募金額は4億6997万円。
横山裕の子ども支援マラソンを中継。最後の休憩ポイントに到着した。
永島龍さんは妻・香帆さんの出産2か月前、余命7か月と宣告された。
永島龍さんと香帆さんが結婚したのは2年前の7月。去年9月、香帆さんの妊娠がわかった。ある日、龍さんの体に異変が。嘔吐を繰り返し緊急入院し、告げられた病名は小腸がん。診断結果はステージ4。医師から告げられたのは「余命7か月」。凪くんが生まれる2か月前のことだった。4月25日、凪くんが誕生した。龍さんはがんを切除する手術を行ったが、がんは大動脈まで広がっており取り除くことはできなかった。志尊淳は4年前、急性心筋炎を発症した。
志尊淳は4年前、急性心筋炎を発症した。自分の気持ちを奮い立たせようという気持ちにもなれなかったという。息子が成人になるまでは這いつくばってでも生きていこうという気持ちが奮い立たせたと龍さんは話した。龍さんの治療は抗がん剤治療へと代わった。抗がん剤治療の効果が出れば余命は3年以上。龍さんは情報の少ない小腸がんのリアルを知ってもらうため、毎日動画をアップしている。龍さんは今、未来の自分たちへ残すために家族でたくさんの写真を撮っている。志尊淳が3人の写真撮影を手伝った。龍さんは将来の凪くんと香帆さんへのメッセージを撮影した。
キリコ祭りは江戸時代から続く夏の風物詩として能登半島200もの地域で行われている。しかし、地震の影響でキリコ祭りが中止になた町も。この夏、町の人々がキリコ祭りの復活に動き出した。珠洲市宝立町は高さ3mの津波が町を襲い、881世帯のうち半数が全壊の被害に遭った。町唯一の小中学校・宝立小中学校は全校の約半分が転校した。キリコの倉庫を津波が直撃、6基あったうち5基が破壊された。キリコ祭り復活プロジェクトが動き出した。残った1基のキリコを補修。こどもキリコの装飾作業の中心になるのは来年卒業する同級生の6人。幼い頃から猛特訓してきた太鼓をこのメンバーで演奏するのは今年で最後。
横山裕の子ども支援マラソンを中継。
2年ぶりに復活する宝立町のキリコ祭り。このメンバーで演奏するのは今年で最後。リーダーのひかるくんの自宅は全壊、今はみなし仮設住宅で暮らしている。4月からは珠洲市外で暮らす。珠洲市に残った大人たちは将来への不安を抱えている。ひかるくんは珠洲市に残ったすべての人々に向けて「珠動宝」とキリコにしたためた。
奥能登で町唯一のスーパーを経営している本谷一知さんは「今度は私たちが支援の輪を広げていくことが僕の目標です」と話した。
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キリコ祭り当日、震災後珠洲市外に転校した友だちも帰ってきた。こどもキリコを担ぐ生徒は2年前より大幅に減少したが、威勢の良いかけ声2年ぶりに宝立町に響き渡った。中学生がこのメンバーで叩く最後の太鼓を披露した。日暮れとともにキリコに火が灯り立ち上がった。
横山裕の子ども支援マラソンを中継。
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高橋海人が発起人となり5つの夢の競演が実現。1つ目はHIPHOPと歌舞伎が融合、コラボするのは市川團十郎白猿。振り付けを担当するのはRIEHATA。2つ目はコンテンポラリーダンスにプロフィギュアスケーター本田真凜が挑戦。共に踊るのは義足のダンサー大前光市。3つ目のプログラムはチアダンス。LAラムズが緊急来日。コラボするのは日本最強のチアチーム尚美学園大学VERITAS。その中には生まれつき耳が聞こえない金丸萌さんがいる。4つ目の競演はブレイキンスペシャルコラボ。川島如恵留がコラボするのはがんで片足を失ったサムカ。さらに、目に障がいがある白杖ダンサーMORIKO JAPANも加勢。フィナーレは氷川きよしによる「ボーン・ディス・ウェイ」。
総勢96名によるボーダーレスLIVEが披露された。
横山裕の子ども支援マラソンを中継。募金額は5億円を超えた。
24時間子ども支援マラソンに挑戦中の横山裕。最愛のお母さんを亡くしてから15年間、ずっと歌えなかった曲があった。25歳の時に母への感謝を綴った「オニギシ」。母・美菜子さんは子どもに不自由な思いをさせたくないと、多くの苦労があった。母に少しでも楽をしてほしいと、15歳で一か八かの芸能界入り。その一方で建設会社でも働いていた。母・美菜子さんの胃がんが判明し、闘病中に2度目の離婚。弟は児童養護施設へ、家族は離れ離れになった。2004年についにデビューし、息子の活躍を母は影で喜んでいた。「オニギシ」は家族の日常をもとに書き上げた曲。照れくさくて言えない母への想いを忍ばせた曲を初めて母の前で披露すると喜んでいた。
横山裕が母への想いを綴った曲「オニギシ」を目の前で披露したのが最後の親孝行になった。突然の訃報は「オニギシ」を歌ったライブから1か月後の出来事だった。ライブのラストで「オニギシ」が歌えなくて泣いたという。その後、一切休まず仕事に復帰して毅然と振る舞い続けたが、「オニギシ」の歌詞に後悔して歌えなかった。
母への想いを綴ったうたが母の死を連想する歌になって以来、「オニギシ」を歌うことはなかった。今年、横山は前へ進む決心をした。自分と同じような境遇の子どもたちを支援することが母のように子どものために働く父母への支援にもなるはず。この夏、多くの子どもを支援する団体や施設、シングルマザーの家庭に足を運んだ。