2024年10月19日放送 2:25 - 3:25 フジテレビ

FNSドキュメンタリー大賞
ユンボの遺言 〜真理子 23歳の肖像〜

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(オープニング)
番組紹介

女性画家だった大崎真理子さんは23歳の若さで急逝し、家族や親友、大学の恩師らに衝撃を与えた。番組ではその足跡を辿る。

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京都市立芸術大学大崎真理子
(FNSドキュメンタリー大賞)
ユンボの遺言 〜真理子 23歳の肖像〜

京都銀行では美術研究支援制度があり、京都市立芸術大学の学生の作品を毎年、購入している。展示された作品のなかに大崎真理子さんの絵画「あの日のユンボ」があった。大崎さんは大学を首席で卒業するも、大学院1年目の冬に急逝した。アップリンク京都に併設されたギャラリーで個展が開かれるということで、高知・土佐市にある自宅から作品が搬送された。展示作品の配置などを指示していたのは恩師である法貴信也教授。大崎さんは4年生の時、京都市長賞に輝くも、絵が描けなくなった。

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大崎真理子さんは高知学芸高校出身で、作品展が迫ると美術部員たちは休日返上で作品づくりに没頭していた。部員たちの間で大崎真理子という名前は語り継がれる存在で、校内には作品が展示されている。高校文化祭の全国大会に進んだほか、別の作品はポスターコンクールで最優秀に輝いた。元顧問の平田慎一氏によると、自由奔放で、驚くべき集中力の持ち主。進学先を京都市立芸術大学に決めると、睡眠を削ってまで勉強に打ち込み、体は痩せ細ったという。担任だった佐々木康子さんは大崎さんからの手紙、年賀状を今も大切にとっていて、「よく寝て、よく食べてます」とよく書かれていたという。高校1年の時、「すべて見えるものは見えないものに触っている」という詩の一節と出会い、それをモチーフにした「見えるものと見えないもの」を制作した。「見えるものと見えないもの」は3点存在し、大学4年の時に3点目を制作。巨大な油絵で、京都市長賞に輝いた。

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大崎さんは小さい頃から絵を描くことが好きだったが、中学時代は陸上部に所属。人の気持ちに寄り添える性格の一方、茶目っ気も持ち合わせていた。3年生の時に、短期間ながら美術部に所属し、親友と瀬戸内国際芸術祭に足を運んでいた。幼少期は東京・江戸川区で両親と暮らし、葛西臨海公園はお気に入りの場所。思い出の風景を何枚も絵に描いていた。

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娘に先立たれた後、両親は保護犬を飼い始めた。大崎さんは京都市立芸術大学の1年目から異彩を放ち、周囲から持て囃されていた一方、法貴信也教授に「静物画が描けません」と相談するなど、絵に悩んでいた。同期生だった花田洋子さんは京都市長賞に輝いた大崎さんが絵を描けないと懊悩していた時期を知っていて、体調が芳しくない日も多かったという。美術道具を見ると大崎さんの姿が思い出され、今も辛いという。法貴教授のもと、大崎さんは小さなスケッチから始め、試作を繰り返した。菜の花に囲まれたユンボの絵を何枚も描き続け、そのうちの1枚を京都銀行が買い上げた。そして、一回り大きいサイズの作品制作に取り掛かり、SNSに完成を報告。その日は18年2月8日、大崎さんが急逝した日だった。

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大学院の成果を発表する作品展の前日、大崎さんは「あの日のユンボ」を完成させた。作品展の初日である2月8日、学友は大崎さんが姿を見せないことを不審に思い、マンションに向かうと浴槽で遺体を発見。死因は不明だったが、状況から溺死とも考えられるという。大崎さんの友人で、公務員として働いていた川村愛さんは仕事を辞め、東京藝術大学 取手キャンパスで先端芸術を学んでいる。入試では「死と再生」という課題が出され、大崎さんのことが思い出されたという。母の文子さんは「私と主人のところに生まれてきてくれ、ありがたかったし、幸せだった。今もこうやってみんなに絵を見てもらったりできる」と話す。

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(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

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