- 出演者
- 宮根誠司 藤本万梨乃 木村太郎 金子恵美
オープニング映像。
梨泰院では1年前幅約3メートル長さ約40メートルの路地に人が密集し群衆雪崩が発生し日本人2人を含む159人が死亡した。人命救助の資格を持つキムさんが約40人の心肺蘇生を行ったが救えた命は2人であった。キムさんは事故以来睡眠障害がひどくなったという。事故発生は午後10時15分ごろとされているが最初の通報があったのは4時間ほど前であった。その後も通報が相次いだが事故となった。昨日の梨泰院では通りの真ん中にバリケードが張られていた。また新たに900台以上導入されるのがAI防犯カメラ。AIがリアルタイムで密集度を測定し1平方メートルあたり5~6人になるとソウル市や警察などに伝達され現場のスピーカーでも注意を促すという。西成教授は「早め早めにその空間から離脱するような行動を取ることがまず身を守る第一歩ですね」などと話した。
梨泰院から中継。通りの入口には犠牲者を追悼する人たちが今も訪れていて壁一面にメッセージが貼られている。今年は人通りが減っていた。仮装をする人もごくわずかでハロウィンを楽しもうという雰囲気はないという。商業施設でもハロウィンの飾り物はなく関連商品の販売も見合わせている。
全国を席巻している“ダンシング玉入れ”の起源に迫る。従来の玉入れは自分の子どもが見つけづらい問題があるが、ダンシング玉入れは見ている人の方を向いて踊るため人気を博している。
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- 品川区立戸越小学校
1901年の文献には“環状毬入れ”という名前で玉入れは記載されている。玉入れに用いられているチェッコリはガーナの民謡で、2014年には玉入れ用の曲としてCD化もされている。現在、東京学芸大学の副学長を務める鈴木聡さんは、元チェッコリ玉入れの指導者で当時の音源やチェッコリダンスを披露した。2000年に学校体育研究同志会は「子どもとつくる100倍楽しい運動会」を発行しており、中には玉入れバリエーションとしてダンシング玉入れの実践方法が記されている。同志会の大貫耕一さんはおよそ30年前に児童と体験したことを明かした。埼玉・川越市の小学校では1987年にダンシング玉入れが行われた記録が残っている。少ない教員で多くの子どもを楽しませながら言うことを聞かせるにはダンシング玉入れが打って付けだった。
チェッコリ玉入れを持ち込んだとされる徳田悦子さんは、霞ケ関西小学校の音源をダビングしたことを明かした。
チェッコリ玉入れのルーツを探るため霞ケ関西小学校を訪問。当時の写真には籠を持つ高学年と、玉を持つ1年生が写っていた。第二次ベビーブームで生まれた子どもたちに楽しさとルールを教え、かわいさゆえに定番化したとみられる。
子供が運動会でダンシング玉入れを行ったという金子恵美は「衝撃的に面白くてしばらく家で、このステップをやっていた」など明かした。番組ではダンシング玉入れに関する情報提供を呼びかけた。
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- チェッチェッコリ川越市立霞ケ関西小学校
熊本の老舗醤油メーカーが開発した透明しょうゆ。大ヒットに学ぶ“業界の常識”という罠。
熊本の老舗醤油メーカー・フンドーダイが開発した「透明醤油」。社長の山村脩さんは金融業、ベンチャー企業を経てフンドーダイに入社したという門外漢。山村さんは社長就任の直前に新商品を考案した。
入社2年目にして透明なしょうゆを発案していたという、商品開発室課長の早田文子さんは「自分からアイデアを発信するより、早くメンバーとして力になりたいというところの方が大きかった」と回顧。早田さんは透明しょうゆを作り会議で提案したところ、山村社長は大絶賛。しかししょうゆ造りに精通した古参社員からは反対された。その後、早田さんを中心とした試作品づくりが始まり、2019年に「透明醤油」は発売され売り上げ50万本のヒット商品となった。
イタリアレストラン・ベルェモコでは透明醤油をどこよりも早く取り入れた。鈴木規之総料理長は「農家さんがきれいな野菜を作ってくれているんで、この色を損なうことはないと思う。白身でも漬けが可能になったのは透明しょうゆのおかげだと思う」と話す。
いまではパリの三つ星レストランまでが取り入れている透明醤油。業界の常識が邪魔をして大ヒットの芽に気が付かなかった古参社員と、ど素人だからこそ直感にかけた門外漢の社長。この話は良く出来た童話のようにビジネスの機微を教えてくれる。VTRを振り返り宮根は「いまの日本は常識を取っ払うことがひょっとしたら必要」とコメントした。
オリックスvs.阪神の一戦は8-0でオリックスが勝利し対戦成績は1勝1敗。
全国各地の天気を伝えた。
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