2026年3月9日放送 1:05 - 2:00 日本テレビ

NNNドキュメント’26
「東日本大震災15年 あの朝、私は…」

出演者
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(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

趣旨説明

2011年3月11日、東日本大震災が発生し、人々は悲しみ・喪失感・絶望を感じ、乗り越えようと必死に生きてきた。その歩みは一睡もできず不安に震えたあの日から始まった。

キーワード
仙台市(宮城)東日本大震災福島市(福島)釜石市(岩手)
東日本大震災15年 あの朝、私は…
東日本大震災15年 あの朝、私は…

岩手・山田町では東日本大震災当時、津波のあとには火災が発生し、一面焼け野原となっていた。震災から2ヶ月後、母の日を前に花屋が店を再開し、山根は花を購入して、行方不明となっている娘のために家があった地へバラを捧げた。家のすべてが津波に流され山根は保育所からもらったアルバムを常に持ち歩いていた。それから間もなく15年、今年1月に山根はあの日、娘と一緒にいたら助けられたかも知れないと後悔し続けていた。山根は娘の誕生日には毎年ケーキを用意して祝い続けていた。山根家は震災後9年間、プレハブの仮設住宅で暮らし、6年前に念願の自宅を町内に再建した。山根は娘の靴を紹介し、2010年9月12日にこの靴を履いて運動会に参加していたなどと振り返った。山根家の大黒柱である朋紀は仕事に精を出すことで悲しみに蓋をしてきた。山根たちは震災後に来る日も来る日も遺体安置所を回っては娘を探し続け、DNAも警察に提出したが見つからず、翌年に死亡届を提出した。山根は娘の墓には遺骨の代わりに昼寝用のパジャマを入れているのだと明かした。

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いわて震災津波アーカイブ~希望~善慶寺山根捺星山田町(岩手)東日本大震災

2011年3月11日、宮城・多賀城市にいたミヤギテレビのカメラマンである鎌田は東日本大震災のあとに取材に向かう道中で津波に巻き込まれ、車を乗り捨て津波から逃れるためにマンションに上層に駆け上がり、津波の様子を報道人として撮影し続けていた。鎌田はその日の夜には猛吹雪の寒さの中、避難したマンションの一室で避難者たちや住人と震えながら過ごしていた。今年1月、鎌田は今もあの日夜に飲んだホットコーヒーの味は忘れられないのだと避難した部屋の主であった郡山と話していた。

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多賀城市(宮城)宮城テレビ放送東日本大震災

福島には放射線物質が入った黒い袋が大量に並んでいた。福島・相馬市では東日本大震災で大きな津波に襲われた。2011年3月12日には福島第一原子力発電所から大量の放射線物質が流出し、国は3km圏内に避難指示を出し、10km圏内、20km圏内と拡大し、16万人の人々が避難を強いられた。福島原発から最も近い警察署である双葉警察署で当時署長を務めていた菅野は、放射線から逃れるために40km離れた場にあった道場に警察署の機能を移し設置していた。福島では5人の警察官が津波の犠牲にあっており、菅野は後に津波から生き延びた人から、現場に駆けつけた警察官が逃げずに必死に避難を呼びかけ続けていたと教わったのだなどと伝えた。

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双葉警察署東日本大震災相馬市(福島)福島第一原子力発電所

2011年5月26日、東日本大震災から2ヶ月後にようやく故郷の地に戻ってこられたという。福島第一原発から7km離れた浪江町請戸地区には二月ぶりに戻ってきた人々が集まり、舛倉もその一人であった。舛倉は大好きであった姉の車を見つけ、泣き叫んでいた。今年1月、舛倉は高台の公営住宅で生活しており、去年に請戸地区に戻り、避難生活は14年間にも及んだ。2018年、請戸地区の港では途絶えていた漁が少しずつ再開されていた。ふるさとを離れ今尚避難し続けている人は福島で約2万人以上となっている。

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東日本大震災請戸地区(福島)

2011年3月11日、気仙沼市の大谷駐在所に勤務していた千田浩二警部は津波の犠牲となった。今年1月、千田の同僚であった菅原は宮城県警察学校で副校長を務め若手育成に尽力している。菅原は将来有望な人材がたった一瞬で亡くなり無念でならないなどと明かした。2010年に千田は大谷駐在所に配属され、すぐに現地に溶け込んでいた。東日本大震災の翌日、大津波が地区を襲い、75人の命が奪われた。菅原は今も部下たちに自分自身も大切な命であり災害の犠牲にならずに必ず生きよと呼びかけ続けている。地区の小学校近くには千田を偲んでお地蔵が建てられた。大谷地区出身の柳田は、千田の犠牲に思うところが色々とあり警察官になると決めたのだと明かした。

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千田浩二大谷海岸宮城県警察学校東日本大震災気仙沼市(宮城)

去年9月、山根家に娘が見つかったと知らせが入っていた。大谷海岸にて行われた清掃活動の収集物の中から3年前の2月に人骨が発見された。山根夫婦は震災後、何度も大谷海岸へ足を運び、2人にとって大切な場所となっていた。捺星ちゃんの骨を検視した星野は、発見された遺骨の様子を絵に描いて説明した。去年10月16日、山根一家は宮城県警南三陸警察署にて遺骨引き渡し式に出席し、娘と再会を果たし、14年分の思いが溢れていた。娘の遺骨を手に帰宅した山根は、娘が大好きであった生クリームのケーキを仏壇に供えた。

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南三陸警察署大谷海岸宮城県警察山根捺星東日本大震災

今年2月、東日本大震災からまもなく15年を迎えようとしており、山根家には捺星ちゃんの同級生であった古田が訪れていた。古田は度々山根家には遊びに来ており、小学校の卒業時には捺星ちゃんの卒業証書を作って山根に渡していた。山根らは成長した娘の姿も見てみたいが、15年前の娘に再び会いたいなどと告げた。福島・大熊町の帰還困難区域に残る小学校には15年前のあの日のままの姿が残されている。

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大熊町(福島)山根捺星山田町(岩手)帰還困難区域東日本大震災
(エンディング)
次回予告

NNNドキュメント’26の次回予告。

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