平成28年夏、富士山7合目が最後の登山となった。他界する3か月前まで山に登っていた。田部井進也さんは「一緒に生活する時間がなかった。もし一緒に過ごす時間が短くなったら後悔するかもしれないと感じて、病院に行ったら先生に呼ばれ1日単位で命を考えてくれと言われて、しっかり話をしたいと思って話をして、最後にお母さん大好きだよと話したらお母さんも大好きと言ってくれて山よりも好きと言った。山と比較するんだと思って。でも母らしいと思った」などと述べた。亡くなる5日前に残した言葉「みなさん本当にありがとう!!ありがとう!!百万遍もありがとう!!田部井淳子」。