長野県松本市で猛毒のサリンがまかれ8人が死亡した、オウム真理教による松本サリン事件からきょうで30年。化学兵器・サリンを用いた世界でも類を見ないテロ。サリンの原材料の入手ルートを追った長野県警元捜査員が、極秘捜査の内幕を明かした。長野市に住む上原敬さんは30年前、県警察本部で殺人などを担当する捜査1課に警部補として所属していた。事件の一報を聞いた夜のことは、鮮明に覚えているという。上原さんは「ハンカチを口にしている人も何人かいた、とにかく原因がわからないにしても被害状況、実態把握をしようと」と述べた。事件発生から6日後、県警の捜査本部は現場に残された遺留物などから、発生したのは化学兵器のサリンと推定されると発表した。大学で化学などを学んだ上原さんは、サリンの合成ルートの解明などにあたる薬品捜査のプロジェクトチームリーダーに任命された。当時はサリンについての情報がほとんどなく、プロジェクトチームは専門家の話や書籍などを参考にしながら、サリンが合成されるまでのチャート図を作成していった。捜査開始から3週間あまり、ある人物がサリンの合成に必要なジメチルを大量に購入していたことが分かった。捜査員がその人物の住所を訪ねたときのことについて、上原さんは「その住所が世田谷のオウムの道場だったんですね、えらいところに当たっちゃったぞと、いろんな妨害が入るかもしれないし宗教弾圧というふうに言われかねない、オウムのことを(道場の最寄り駅にちなみ)ヤマシタと呼んで暗号を使った」と述べた。
それ以降、プロジェクトチームの捜査は限られた幹部などしか知らない極秘任務となった。その後、上原さんたちはおよそ半年にわたって全国4000以上の薬品会社などを捜査。核心に近づきつつあった。その矢先、東京で地下鉄サリン事件が発生。上原さんは「やられたなと、これはオウムだろうと直感した」と述べた。松本サリン事件から30年。上原さんは当事者として語り継いでいくことが重要だと考えている。
それ以降、プロジェクトチームの捜査は限られた幹部などしか知らない極秘任務となった。その後、上原さんたちはおよそ半年にわたって全国4000以上の薬品会社などを捜査。核心に近づきつつあった。その矢先、東京で地下鉄サリン事件が発生。上原さんは「やられたなと、これはオウムだろうと直感した」と述べた。松本サリン事件から30年。上原さんは当事者として語り継いでいくことが重要だと考えている。