現在の輪島港は岸壁に大きな亀裂が入り復旧工事が進められている。去年11月にようやく水揚げが始まった。港で仕入れた魚を運んでいるのがかつて朝市で魚を販売していた米谷礼子さん。仕入れた魚を自宅近くの作業場でさばいている。震災で仕事を失った米谷礼子さんに声をかけたのが朝市からの馴染のお客さんたちだった。ほぼ毎日魚を配達している。震災前、礼子さんは輪島朝市で母のはる子さんと一緒に魚を販売していた。かつて朝市が開かれてた場所は今年4月に公費解体が完了し更地の状態となった。一緒に店に出ていた母のはる子さんは地震から3ヶ月後に亡くなった。今も付き合いのあるお得意さんの中には震災で大きな痛手を負った人も少なくない。輪島塗りの職人である吉田さん夫婦は工房を兼ねていた自宅が全壊、朝市通りにあった店も焼けてしまった。輪島塗りの道具はなんとか運び出して親戚の家で仕事を続けている。仮設住宅に住みながら礼子さんの魚を待つ人も。蒔絵師の江端俊雄さんは工房を兼ねていた自宅が全壊してしまい、仮説の工房でやっと去年12月から仕事を再開できたという。配達が終わり作業場に戻る礼子さんは自分たちの食事を作る時間が息抜きになっている。夫の米谷晃さんは素潜り漁でサザエや海藻をとっているが、地震で漁場が被害を受けたため海底の調査を行う日もあり漁に出られる日が減っている。輪島港は水揚げはできるようになったが市場はまだ閉鎖されていて朝の競りは行われていないので、礼子さんは夜にも直接魚を買い付けに来ている。仕入れが終わると水揚げを必ず手伝っている。礼子さんのもとに震災前から取引のあったお店が営業再開との知らせがあった。店主の松野克樹さんは輪島で60年続く寿司屋の2代目。以前のお店は全壊しプレハブの店で営業を再開した。店を始まるにあたり礼子さんに声をかけた。震災以来助け合いながら暮らしてきた輪島の人々。いつかまた母も愛した朝市で大勢のお客さんを前に魚を売りたいというのが今の礼子さんの夢だという。