79年3月28日、スリーマイル島原発では機器の不具合、人的ミスが重なり、原子炉の1つでメルトダウンが発生。90年、核燃料デブリの取り出しをほぼ完了し、建屋の解体に向けた準備が始まっている。技術者たちは当初、原発と隣接する川に処理水を放出する方針だったが、住民たちが猛反発。事故直後から陣頭指揮にあたったレイク・バレット氏らは事業者、住民を繋ぐ市民パネルをつくり、「時間をかけて相手の話に耳を傾け、共感を示すことで信頼を勝ち取らねばならなかった」と振り返った。住民たちはいかなる放出も受け入れられないと主張していたが、処理水を保管し続けるリスクについても議論を深め、事業者から示された大気への放出に同意した。住民たちとの議論は廃炉が完了するまでの2037年まで継続されるという。