西浦の趣味は将棋。5歳のときから70年以上行ってきた。この日は野原未蘭女流二段と対決し、こうして腕を磨いているという。将棋はビジネスに通ずるものがあるという。西浦は1971年に富士銀行に入行。数寄屋橋支店長や法人開発部長を歴任した。2004年にみずほ銀行の副頭取になったが2006年に転機が。突然頭取に日本橋興業が立ち行かなくなったのでなんとかして欲しいという打診があった。それに対し西浦は一言で承諾。日本橋興業は1957年に設立し富士銀行の所有ビルを管理していた。バブル崩壊で不良債権を抱えた銀行から多くのビルを買い取らされ、多額の借金を抱えていた。そんな会社の社長を引き受けた理由に、西浦はやるのならトップを1度はやってみたいと思っていたからだという。社長になった西浦は借金をなくすには事実上の子会社から脱却する必要があると考えた。そこである荒療治を断行した。執行役員全員を集めると辞表を出して欲しいと伝えたという。