能登半島地震の発生からまもなく1年になる。被害を受けた石川県輪島市の日本航空高校石川は東京青梅市の大学跡地に一時的に移転して授業を続けている。移転に伴い慣れない1人暮らしを強いられながら被災をきっかけにみずからの進路を見つめ直した高校3年生がいる。800人余りの生徒などが避難生活を送っている青梅市の日本航空高校石川。輪島市から避難している高校3年生の九尾結月さんは自宅近くの神社でアルバイト中に被災。津波から避難するため着の身着のまま高台まで逃げ夜まで過ごした。被災後は金沢の親戚の家に身を寄せるなどしていたがことし4月、学校が移転するのに伴い東京で避難生活を始めた。慣れない環境での初めての1人暮らし、部屋の広さは3畳ほどで家族から離れて暮らす孤独さや毎日の集団生活でストレスがたまっていった。支えとなったのはふるさとにいる家族の存在。励ましもあり徐々に東京での生活に慣れ明るさも取り戻していった。来年春に高校を卒業する九尾さん。航空業界への就職も考えていたが被災をきっかけに進路を考え直した。被災直後に過ごした避難所での生活。避難してきた人で混乱を極め断水でトイレや水も満足に使用できない状況。こうした中、医師や看護師たちは九尾たちを励ましたり健康状態を気遣ったりしていた。8月、東京への避難後、初めて帰省した。倒壊したままの住宅、元日から時が止まっているような状況だった。過疎化は一層進み人手も不足していた。まもなくあの日から1年。九尾さんは高校卒業後、金沢の看護師養成の専門学校に進学する。