日本のフィギュアスケート界をけん引してきた宇野昌磨選手が、きょう引退会見を行った。会見で宇野選手は「現役フィギュアスケート選手を引退することとなった。悲しいというよりもすごく前向な気持ち。未練はまったくない」と語った。今後はプロとして、アイスショーなどで活動する。引退を考え始めたのは、2年くらい前だという。そのきっかけについて、宇野選手は「ゆずくん(羽生結弦さん)の引退だったり、ずっとともい戦ってきた仲間たちの引退を聞いて、寂しい気持ちと取り残されてしまった気持ちもあった」と語った。
宇野昌磨選手がスケートと出会ったのは5歳のとき。地元のスケートリンクで、浅田真央さんに声をかけられたのがきっかけだった。背中を追いかけ続けてきたのは、「ゆづくん」と呼んでいた3歳年上の羽生結弦さん。難しい4回転ジャンプに果敢に挑戦するなど、偉大な先輩とともに4回転時代をけん引してきた。初めて出場した2018年のピョンチャン五輪。その2年前に世界で初めて成功させた代名詞・4回転フリップを武器に銀メダルを獲得。北京五輪では銅メダルを手にした。会見で宇野選手は「僕なりの全力のフィギュアスケート人生を送れた」と語った。
宇野昌磨選手の世界での活躍は、地元・名古屋の産業にも活気を与えてきた。自動車関連の金属加工を行っている会社では、2020年の秋から宇野選手のスケート靴のブレードを製造。ブレードの開発は、宇野選手本人の意見も取り入れながら進め、北京五輪でのメダル獲得にもつながった。開発担当・石川貴規さんは「本当にうれしかった。今までやってきて、作ってきてよかった」とコメント。100年近くにわたって積み上げてきた技術で、宇野選手を支えてきたことが会社の誇りだという。金属加工会社・寺西基治社長は「新しいことにチャレンジする風が吹き始め、どの部署も活気が出てきていて非常に楽しい」と語った。
愛知・名古屋市内にある病院の新生児を治療する病棟。超低出生体重児として産まれた宇野選手は、同じ境遇の子やその家族に向けて、5年前に手紙を送った。日本赤十字社愛知医療センター名古屋第二病院・加藤佳代子看護師長は「勇気づけられるのではと思う。之だけ世界で活躍されたのは本当に希望」と語った。宇野選手の手紙を見た家族からは、子どもたちのいまを伝える写真や絵が送られている。宇野選手の手紙を紹介。会見で宇野選手は「自分のことなのであまり褒めちぎりたくはないが、本当に素晴らしいことを成し遂げることができたなって思っている」と語った。
宇野昌磨選手がスケートと出会ったのは5歳のとき。地元のスケートリンクで、浅田真央さんに声をかけられたのがきっかけだった。背中を追いかけ続けてきたのは、「ゆづくん」と呼んでいた3歳年上の羽生結弦さん。難しい4回転ジャンプに果敢に挑戦するなど、偉大な先輩とともに4回転時代をけん引してきた。初めて出場した2018年のピョンチャン五輪。その2年前に世界で初めて成功させた代名詞・4回転フリップを武器に銀メダルを獲得。北京五輪では銅メダルを手にした。会見で宇野選手は「僕なりの全力のフィギュアスケート人生を送れた」と語った。
宇野昌磨選手の世界での活躍は、地元・名古屋の産業にも活気を与えてきた。自動車関連の金属加工を行っている会社では、2020年の秋から宇野選手のスケート靴のブレードを製造。ブレードの開発は、宇野選手本人の意見も取り入れながら進め、北京五輪でのメダル獲得にもつながった。開発担当・石川貴規さんは「本当にうれしかった。今までやってきて、作ってきてよかった」とコメント。100年近くにわたって積み上げてきた技術で、宇野選手を支えてきたことが会社の誇りだという。金属加工会社・寺西基治社長は「新しいことにチャレンジする風が吹き始め、どの部署も活気が出てきていて非常に楽しい」と語った。
愛知・名古屋市内にある病院の新生児を治療する病棟。超低出生体重児として産まれた宇野選手は、同じ境遇の子やその家族に向けて、5年前に手紙を送った。日本赤十字社愛知医療センター名古屋第二病院・加藤佳代子看護師長は「勇気づけられるのではと思う。之だけ世界で活躍されたのは本当に希望」と語った。宇野選手の手紙を見た家族からは、子どもたちのいまを伝える写真や絵が送られている。宇野選手の手紙を紹介。会見で宇野選手は「自分のことなのであまり褒めちぎりたくはないが、本当に素晴らしいことを成し遂げることができたなって思っている」と語った。