コメを巡るおよそ30年前の日米交渉の内幕が、きょう公開された外交文書で明らかになった。1993年4月の日米首脳会談。米国側は、コメの市場開放を強く迫っていた。当時の貿易自由化を議論する、GATTウルグアイラウンドで、日本のコメの市場開放が大きな議論となった。宮沢総理大臣は、参議院で自民党が過半数割れしたことに触れ、反対姿勢を示していた。一方、米国側は、日本だけを例外扱いできないと迫る。また、現地から外務省への報告には、コメについては取り上げなかったことになっていると記されている。国内世論の動向に神経を使っていたことが分かる。交渉が動いたのはこの年の夏。自民党政権に代わって発足した細川政権のときだった。国内では農家などが反発。国会の前でも激しいデモ活動が行われた。最終交渉に当たっていたのは、羽田外務大臣。羽田大臣からの報告内容では、各国の貿易自由化の流れを前に、譲歩を迫られた実情が見て取れる。12月、日本のコメについては、全面的な市場開放はしない一方、一定量の輸入をミニマムアクセスとして義務づける調整案が、GATT側から示され、実質的に妥結した。当時、農林水産省の職員として交渉にも携わった農業政策の専門家は、当時の日本の姿勢について、農業改革が遅れ競争力が伸び悩む要因になったと指摘する。