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「明智光秀」 のテレビ露出情報

歌麿の死後、しばらくすると一旦幕府の質素倹約の方針はゆるみ、経済も活気を取り戻した。庶民の間には旅行ブームが起き風景画が流行。歌舞伎も大盛り上がりで役者絵がヒットし浮世絵の黄金期が訪れる。そこに再び幕府の規制が立ちはだかる。この時の老中は水野忠邦。天保の改革を進め、町人に贅沢と娯楽を厳しく禁じた。すぐさまに標的になったのは歌舞伎、浮世絵で役者を描くことも禁止された。そんな中、歌川国芳はタイトルに「落書き」と書くことであえて役者の絵に挑んだ。また、規制にかこつけて役者の隠れた本質も描き出した。
国芳は元々は水滸伝のヒーローを描いて大ヒットを放った売れっ子絵師。しかし、「落書き」のような尖った絵を描いていたので幕府には目をつけられていた。宵越しの金は持たない気前の良さ、親分肌で慕う弟子は70人以上。絵を描くことは常に猫を懐にいれるほどの猫好きでもあった。
天保の改革以前、浮世絵は特定の版元だけに制作が許されていた。こうした版元は株仲間と呼ばれ、直営の店で浮世絵を販売、江戸では約30軒の株仲間が浮世絵を独占していた。株仲間は様々な分野に設けられていたが、幕府は物価高の原因がここにあるとみて株仲間を廃止。浮世絵は誰もが作れるようになったため、団扇問屋などの新興勢力が次々と参入し浮世絵戦国時代が到来。競争を勝ち抜くために新しい商品で勝負したかった団扇問屋と、奇想天外な表現を生み出したかった国芳の思惑が合致して猫の役者絵が生まれた。この浮世絵戦国時代には国芳以外の絵師や版元からも着せ替えやすごろくなど、アイデアあふれる浮世絵が生み出された。
天保の改革が進められていた当時は社会が大きく揺れた時代。飢饉、物価上昇、打ちこわしの動きも広がった。そんな苦しい状況の中、江戸っ子のささやかな楽しみまでも幕府は贅沢として次々取り締まった。庶民の不満は高まる中、国芳が描いた風刺画が大評判となった。版元はあまりの売れ行きと騒ぎに驚き絵を自主回収したことで国芳はおとがめを逃れたという。国芳の成功をみて版元たちは次々に風刺画を販売した。国芳以降に様変わりした浮世絵。客のニーズが変化し社会に目が向くようになった。
国芳が妖怪と頼光の風刺画を出してから10年、浦賀沖に黒船が来航し日本中が騒然とした。それからまもなく、国芳が発表した「浮世又平名画奇特」が幕府の様子を描いたのではウワサになり大ヒットとなった。しかし、この浮世絵は黒船来航より前に描かれたのだという。
安政2年10月2日、M7程度の直下型地震が江戸の町を襲った。多くの家屋が倒壊し死者は7千人以上に上った。被災直後の江戸ではナマズを描いた浮世絵が飛ぶように売れた。当時、自身はナマズが起こすと信じれられていた。地震から半年後、「安政見聞誌」という被害状況を記したルポルタージュが出版された。国芳やその弟子など複数の浮世絵と作家が送り出したもの。地震で被害が特に酷かった吉原の遊郭の様子も描かれている。本を描いた当時、国芳は60歳。脳卒中で倒れ体調は万全ではなかったが、災害の記録と教訓を永く後世に残したいと出版を行った。しかし、発売半年後に出版停止となったという。国芳の死後、その精神は弟子たちに引き継がれていった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月12日放送 6:00 - 8:30 フジテレビ
めざましどようびOH!めざめエンタサタデー
ワンカット撮影のタイムスリップコメディ、三谷幸喜「おい、太宰」劇場版の公開記念舞台挨拶が行われた。三谷さんはカメラから離れたところで待機することが多かったそうで「めっちゃ楽ですよ」などと話した。「過去にタイムスリップするなら?」と聞くと、「織田信長に会って本能寺の変を匂わす」などと答えた。

2025年6月28日放送 18:30 - 20:54 テレビ東京
土曜スペシャル反町隆史参戦SP!京都・奈良の名所を歩く
二条城からスタート。最初の関所は本能寺。1582年明智光秀が謀反を起こし織田信長を襲撃。当時の本能寺は信長が自害する際に放った火で焼失したとされる。本能寺の変後豊臣秀吉が現在の地に再建した。
三条のお務めは「落語発祥のお寺で旅の成功を祈願しろ」。お務めの場所は自力で探し出さなければならない。誓願寺へ向かった。枕草子を書いた清少納言が尼になった寺とされる。醒[…続きを読む]

2025年6月10日放送 17:30 - 17:45 テレビ東京
誰でも考えたくなる「正解の無いクイズ」(誰でも考えたくなる「正解の無いクイズ」)
「ここ2000年間の流行語大賞を決めるとしたら何になりますか?」と出題。天才・奇人・変人の意見を聞き、カルマルアンサーは「愛」に決まった。

2025年6月2日放送 4:55 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニング林修のことば検定スマート
1582年(天正10年)6月2日は「本能寺の変」が起こっった日。明智光秀が裏切り、主君・織田信長を襲撃した。襲撃理由の1つは「天下を取りたかった」「怨恨説」「黒幕説」など。四国の征伐をめぐり光秀が追い込まれていたという説も言われている。下剋上は、室町時代中期から戦国時代に特に激しくなった社会風潮。

2025年5月29日放送 15:10 - 16:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン(ニュースを深堀り)
門脇誉幸記者は滋賀観光のカギとなるのは混雑を避けてゆったりと観光を楽しめることだと見ている。京都に比べて滋賀は比較的人の混雑が見られないと考えることができる。滋賀県では延暦寺以上におごと温泉が人が多く来ているとの統計もあるが、京都は人が多いことから少し離れたところを紹介してほしいとの声もあると旅行関係者から話が聞かれる。京都に近いだけでなく、滋賀県自体には有[…続きを読む]

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