2025年1月2日放送 22:50 - 23:49 NHK総合

浮世絵ミステリー
「歌麿・国芳 ヒットの謎 〜江戸 メディアの闘い〜」

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(オープニング)
ヒットの謎 ~江戸 メディアの闘い~

2000年頃から現れ始め瞬く間に普及したSNSは社会に大きな影響を与えるメディアになった。実は、200年以上前の江戸時代にも急成長を遂げた新興メディアがあった。それは浮世絵。人気の役者や話題の観光スポットなど、ニーズに応えて次々とヒット作が誕生。中でも庶民の浮世絵人気を爆発的に高めたのが喜多川歌麿。絵で名前を表現した喜多川歌麿や、落書きが売れた歌川国芳。不思議な絵が生まれた背景には幕府による厳しい表現規制があった。しかし、浮世絵師たちはそれに対抗して新たな表現を生み出し、厳しい規制が逆に浮世絵を一大メディアへと成長させた。一体何があったのか、謎に迫る。

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喜多川歌麿歌川国芳瑛人第71回NHK紅白歌合戦香水
歌麿・国芳 ヒットの謎 〜江戸 メディアの闘い〜
歌麿ヒットの謎 〜江戸 メディアの闘い〜

喜多川歌麿は画期的な美人画を生み出した絵師と言われている。歌麿は女性のちょっとした仕草から内面の魅力や人生の物語を伝えようとし、この試みはそれまでの美人画の常識を覆す大発明だった。その画期的な美人画の裏にいた仕掛け人は版元の蔦屋重三郎(通称・蔦重)。版元とは出版の総合プロデューサー。吉原の遊郭の中で生まれ育った蔦重は遊郭ガイドや遊女情報の本などでヒットを連発。ところが、寛政3年に蔦重は風紀の乱れを取り締まろうとする幕府によって出版停止などの処分を受ける。そこで、蔦重は文字から浮世絵への世界へ活路を見出そうとした。当時、浮世絵は庶民が気軽に買えるアートで1枚の価格はかけそば1杯ほど。蔦重が大勝負のパートナーに選んだのが歌麿。2人の野心によって生み出された浮世絵は次々にヒットした。

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人気絵師・歌麿の前に立ちはだかった江戸幕府。蔦重と歌麿は評判の美人に目をつけ、名前を書き入れた絵を売り出した。すると、絵のモデルになった茶屋娘に一目会おうと大勢の客が店に押しかける騒ぎに。まもなく幕府は茶屋娘の名前を書くことを禁じた。そこで歌麿が出したのが絵で名前を表した「判じ絵」。すると幕府は判じ絵も禁止とした。この逆境が歌麿のプライドに火をつけ、女性の新たな魅力を描き出す挑戦的な絵を発表。無名の働く女性を描くという挑戦を始めた。

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判じ絵喜多川歌麿女織蚕手業草蔦屋重三郎

そもそも幕府はなぜ厳しい規制で歌麿を締め付けようとしたのか。表現の規制という方針を打ち出したのは風俗規制に力を入れていた老中・松平定信。寛政12年、幕府は女性のアップの絵を禁止。すると歌麿は女性の姿をした妖怪を描き、あえて規制にあてつけるように売り出した。人気絶頂となった歌麿だが、幕府から絵本太閤記をもとにした浮世絵が出版停止の処分を受け、自身も刑を受けた。

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化物尽絵巻喜多川歌麿国際日本文化研究センター寛政の改革明治大学博物館松平定信絵本太閤記豊臣秀吉
国芳ヒットの謎 〜江戸 メディアの闘い〜

歌麿の死後、しばらくすると一旦幕府の質素倹約の方針はゆるみ、経済も活気を取り戻した。庶民の間には旅行ブームが起き風景画が流行。歌舞伎も大盛り上がりで役者絵がヒットし浮世絵の黄金期が訪れる。そこに再び幕府の規制が立ちはだかる。この時の老中は水野忠邦。天保の改革を進め、町人に贅沢と娯楽を厳しく禁じた。すぐさまに標的になったのは歌舞伎、浮世絵で役者を描くことも禁止された。そんな中、歌川国芳はタイトルに「落書き」と書くことであえて役者の絵に挑んだ。また、規制にかこつけて役者の隠れた本質も描き出した。

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喜多川歌麿天保の改革尾上梅幸[4代目]市川團十郎[七代目]東海道五十三次松平定信歌川国芳歌川広重[2代目]水野忠邦澤村宗十郎[5代目]葛飾北斎[初代]

国芳は元々は水滸伝のヒーローを描いて大ヒットを放った売れっ子絵師。しかし、「落書き」のような尖った絵を描いていたので幕府には目をつけられていた。宵越しの金は持たない気前の良さ、親分肌で慕う弟子は70人以上。絵を描くことは常に猫を懐にいれるほどの猫好きでもあった。

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ギャラリー紅屋歌川国芳猫の百面相

天保の改革以前、浮世絵は特定の版元だけに制作が許されていた。こうした版元は株仲間と呼ばれ、直営の店で浮世絵を販売、江戸では約30軒の株仲間が浮世絵を独占していた。株仲間は様々な分野に設けられていたが、幕府は物価高の原因がここにあるとみて株仲間を廃止。浮世絵は誰もが作れるようになったため、団扇問屋などの新興勢力が次々と参入し浮世絵戦国時代が到来。競争を勝ち抜くために新しい商品で勝負したかった団扇問屋と、奇想天外な表現を生み出したかった国芳の思惑が合致して猫の役者絵が生まれた。この浮世絵戦国時代には国芳以外の絵師や版元からも着せ替えやすごろくなど、アイデアあふれる浮世絵が生み出された。

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公文教育研究会歌川国芳

天保の改革が進められていた当時は社会が大きく揺れた時代。飢饉、物価上昇、打ちこわしの動きも広がった。そんな苦しい状況の中、江戸っ子のささやかな楽しみまでも幕府は贅沢として次々取り締まった。庶民の不満は高まる中、国芳が描いた風刺画が大評判となった。版元はあまりの売れ行きと騒ぎに驚き絵を自主回収したことで国芳はおとがめを逃れたという。国芳の成功をみて版元たちは次々に風刺画を販売した。国芳以降に様変わりした浮世絵。客のニーズが変化し社会に目が向くようになった。

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井関隆子日記幕末江戸市中騒動図徳川家康徳川家慶明智光秀昭和女子大学図書館東京国立博物館歌川国芳水野忠邦源頼光源頼光公館土蜘作妖怪図細谷松茂織田信長豊臣秀吉

国芳が妖怪と頼光の風刺画を出してから10年、浦賀沖に黒船が来航し日本中が騒然とした。それからまもなく、国芳が発表した「浮世又平名画奇特」が幕府の様子を描いたのではウワサになり大ヒットとなった。しかし、この浮世絵は黒船来航より前に描かれたのだという。

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(エンディング)
エンディング

浮世絵師たちは厳しい規制と闘いながらメッセージを発信し続けた。それから150年余、いま浮世絵は一人ひとりの発信の意味を人々に投げかけている。

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喜多川歌麿歌川国芳

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