宮城県の東松島市から東日本大震災の被災地の今の様子を伝える。東松島市は市街地の半分以上が津波で浸水して、1100人以上が犠牲になった。中継先の小学校も1階の天井付近まで津波が浸水して、この小学校に避難した400人近くの方は、2階以上に避難したので、全員助かったという建物。小学校は震災の2年後に、児童数の減少で閉校して、さらにその閉校の4年後に、新たに野菜工場に生まれ変わった。温度、湿度も、コンピューターで管理して、安定的に生産している。震災後に設立された地元の会社が運営している。地元の方20人ほどが働いていて、8種類の野菜を扱っていて、東北や首都圏のスーパーに卸したり、ネット販売も行っていて、地元の方にも安く販売しているという。工場の阿部基教社長は「この小学校では、震災のときに数百名助かり、犠牲者が1人も出なかったので、形を残したまま、何か活用できないかという声が上がって、私たちが植物工場として利活用する取り組みを始めた」とコメント。今後については「おかげさまで海外の方の視察もいただいているので、ここ、東松島から海外に植物工場の技術を広げていきたいと考えている」とコメントした。被災したその小学校で始まったこの野菜工場が海外に、これも震災からまもなく14年、被災地の一つの姿だ。