イット! 戦後80年 いま、平和ですか
台湾出身の陳金村さんは、特攻隊に所属していた元日本兵。日本兵について研究している陳柏棕さんは、これまで100人近い元日本兵と会い、証言を集めてきた。その一人が、陳金村さん。台湾は、50年間にわたり日本の統治下にあった。太平洋戦争では、20万人を超える台湾の人々が日本人として戦地に赴いた。金村さんも1944年、17歳の時に海軍に志願した。日本語で教育を受けたため、今でも日本語が話せる。当時海軍の拠点があったのは、南部の高雄市。部隊の跡地には、当時の防空壕が残されている。金村さんらは、アメリカ軍の空襲の合間を縫って、特攻の訓練を行っていた。戦争末期、爆弾を積んだまま敵艦に体当たり攻撃する特攻艇「震洋」の部隊が台湾にも10か所配備された。金村さんも整備兵としてそのひとつに配属された。金村さんによると、震洋は、2~3ミリのベニヤ板でできていたという。アメリカ軍は台湾に上陸せず、震洋部隊は出撃しないまま終戦を迎えた。戦後、台湾にやってきたのは、中国本土から来た国民党政権。金村さんは、元日本兵であることを隠して生きてきた。日本政府は、戦没者らの一部に弔慰金を支払うも、ほとんどの元日本兵に戦後補償を行わなかった。金村さんは、今でも数ヶ月に一度日本を訪れれる親日家だが、日本に見捨てられた気がする、同じ日本軍の兵士なのに、台湾は慰問の手紙1枚もないなどと話した。陳柏棕さんの曽祖父や大叔父も元日本兵だという。台湾では民主化が進むまで、日本統治時代を学ぶ機会が少なく、戦争の記憶が引き継がれてこなかった。柏棕さんも身内に元日本兵がいることを大人になるまで知らなかったという。金村さんが海兵時代を過ごした場所には、小さな展示施設があり、日本人として戦った台湾の人々の記憶が眠っている。この沖では、先月も中国による軍事演習が行われた。台湾有事が懸念されるなか、金村さんは、政府は戦争がどんなものがわかっていない、戦争は人間の地獄だなどと話した。