旧日本軍 司令部壕跡 映像公開

2024年5月22日放送 21:32 - 21:39 NHK総合
ニュースウオッチ9 (ニュース)

5年前に火災で焼失した沖縄・首里城の下には、戦時中に旧日本軍が司令部を置いた地下壕がある。ここで79年前のきょう、5月22日、多くの住民の犠牲を出すことになったある決断が行われた。今回、内部の撮影が特別に許可された。今回、特別な許可を得て沖縄県と共同で地下壕の撮影を行った。地下13メートルほどの場所にトンネルが続く。壕を掘ったときのツルハシの跡。別の場所には、柱と見られる木材やくぎ。ビール瓶など至る所に人がいた痕跡が残されていた。第32軍司令部壕は、沖縄戦の戦闘指揮の中枢で、当時約1000人以上がいたとされている。壕は、首里城の地下を横切るように掘られ、全長は約1キロに及ぶ。地盤が固く高台にあることから、戦況に有利だとされ、この場所に構築された。
20万人もの犠牲を出した沖縄戦。住民の犠牲が拡大するきっかけとなった決断「南部撤退」が、この場所で行われたと見られている。第2次世界大戦末期、激しい戦闘が繰り広げられた沖縄戦。日本の戦況は悪化。本土決戦も間近といわれる中、日本軍は米国軍を少しでも長く沖縄にとどめておきたいと考えていた。このため日本軍の幹部たちは、司令部をこの場所から南部へと移動させることで戦闘を継続しようとした。この作戦が戦火を逃れ、南部へと避難していた多くの住民を巻き込むことになった。
司令部の近くにあった自宅から、日本軍よりも前に南部に避難していた男性を取材。日本軍が南部に来たことで、戦況は日増しに悪化していったという。一緒に逃げていたのが、親代わりだった大叔母だった。昼夜を問わず攻撃に見舞われ逃げ惑う日々が続いた。こうした中、日本軍が南部撤退を決めた1か月後の6月22日。別の場所に避難しようと大叔母が壕の外に出た直後、銃撃戦のような音が聞こえ米国軍に取り囲まれた。その後、米国軍のトラックで収容所へ向かう途中、大叔母は男性のひざの上で息を引き取った。男性は「悔しいよ」と語った。地下壕の司令部で行われた南部撤退の決定。住民の犠牲は拡大し、その決定以降、亡くなった住民は少なくとも4万6000人に上った。沖縄県は、この司令部壕について、住民の命を軽視した沖縄戦の実相を伝える戦跡だとして、来年度から順次公開することを目指している。


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