- 出演者
- 石塚英彦 狩野恵里 はしのえみ
オープニング映像。
1926年創業「銀座アスター」は本格的な高級中国料理を提供している。その味は世界中国料理連合会が国際的な名店として認定するほど。看板メニューは「アスター麺」。汽船会社の乗組員として上海に勤務していた創業者・矢谷彦七は1918年にバター会社を創業。1923年、関東大震災で工場が全焼し廃業。そこで空き地となったこの場所で中国料理店を始めることを決意。全財産を投げうち1926年創業にアメリカ風中華レストラン「銀座アスター」をオープン。横浜中華街から腕利きの料理人たちを集めた。
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1945年、東京大空襲で銀座は焼け野原に。「銀座アスター」も創業以来のレシピまでも焼失した。失意のどん底にいた矢谷彦七の背中を押したのは娘だった。1946年、営業を再開。しかし戦前のような高級志向は受け入れられないと考えた彦七は庶民派路線に切り替え都内のデパートなどへシューマイを卸して回った。1958年、新たな看板メニューの開発に着手。
ゲストははしのえみ。今日の特集は銀座100年グルメ一皿に宿る物語。銀座アスター「貝柱入りポーク焼売」「海老焼売」を試食した石塚英彦らは「海老が大きい」などとコメントした。
1958年、新たな看板メニュー「アスター麺」が誕生。なかなか納得できる料理が生まれない中、料理人たちがまかないで食べていた料理がまさかの新メニューに。瞬く間に大ヒットし今に繋がる名物料理となった。1960年にはマスコットキャラクター「アスターちゃん」も誕生。1967年、矢谷彦七は79歳で亡くなった。1970年代にはパーティー形式の名菜席を開催し再び高級志向へ舵を切る。北京ダックやふかひれは名菜席がきっかけで日本へ広まったと言われている。近年ではフレンチ&イタリアンを取り入れた創作中国料理も開発。現在は100周年メニューの「天白どんこと筍の煮込み、スターアニスの香り」なども楽しめる。
1925年創業「三笠会館」は和洋中華6店舗の総合レストランビル。創業者・谷善之丞は家業を継ぐのが嫌で上京し貿易会社の見習いに。貸店舗の新聞広告を見て1925年にかき氷店「三笠」をオープン。5年後に食堂「三笠」、さらに2年後にチキングリル「三笠」をオープン。しかしチキングリル「三笠」は失敗し店は絶体絶命のピンチに。そんな中、シンプルな鶏料理をと考えて生まれたのは骨付き唐揚げ。唐揚げをレストランで出したのは「三笠会館」が日本初と言われている。そのレシピは誕生から90年以上、ほとんど変わっていないという。
昭和20年、東京大空襲で店は全焼してしまうもののすぐさま営業を再開。当時まだ日本人には馴染みの薄かったバームクーヘンやリーフパイなども手掛けてきた。1966年には現在の総合レストランビルをオープン。バブル期に流行したティラミスも「三笠会館」が先駆け。またペペロンチーノの先駆けも「三笠会館」。店のルーツとなるかき氷は今も3階で食べられる。
1924年創業「銀座吉澤」は東京で松阪牛を広めた精肉店。松阪牛を扱ったきっかけは創業当時、伊勢商人と出会い歳を重ねた牛を卸してもらったことがきっかけ。当時は伊勢神宮からはるばる来ることから「神牛」などと呼ばれていた。戦災と食糧難の時代を乗り越え1951年、飲食部門を開業。その後1958年に神牛のブランド化を図り「松阪牛」という呼び名が広まった。
VTRで紹介した名物料理についてはしのえみは定期的に食べに行きたいようなホッとするような美味しさなどと話した。
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懐かしの名曲は高峰秀子「銀座カンカン娘」。1927年創業「とんかつ 銀座 梅林」は来年100周年を迎える。看板メニューは「ロースカツ定食」。
