- 出演者
- 長谷川博己
オープニング映像。
日本料理店「銀座しのはら」はミシュランが2つ星をつける名店。店主の篠原武将さんが生み出すのは食材を斬新に組み合わせた、オリジナリティあふれる料理の数々。その篠原さんが待っていたんは世界が注目する経営者・古賀大貴さん。古賀さんが取り出したのはイチゴで、古賀さんのイチゴに刺激をうけた篠原さんはイチゴやキャビアを最中で挟んだ料理を考案した。フォアグラやキャビアにも負けない、味と香りを持つイチゴの本拠地はアメリカ・ニュージャージー州。古賀さんが現地で起業した会社のオイシイファームの巨大な工場が一昨年完成した。その中には何段ものイチゴがあり、ここで育てているのはニホンのイチゴで温度や湿度、光の波長などを制御し、アメリカで日本の環境を再現して育てている。ここは技術の粋を集めた植物工場で、最も難しかったのは、ハチを使った受粉。葉物野菜は出来ても受粉が必要な野菜や果物を工場で作るのは困難だった。しかし、古賀さんは最適な環境づくりと、独自のAIでハチの行動を管理。受粉を成功させた。さらに驚くのは収穫の仕方。ロボットがどれが採り頃か、自分で判断して自動で収穫するという。収穫していたのは安川電機のロボットアーム。美味しいファームはロボットに画像センサーをとりつけて独自に開発したAIがイチゴの収穫時期を判断し。ロボットが自動で摘むように判断させた。
オイシイファームではエンジニアが、日々エンジニアがイチゴの状況をAIに学習させて精度を上げてきた。今ではアメリカの500店舗に出荷している。最先端の工場の設備の肝心な部分はほぼ手作り。古賀さんは元々コンサルティング会社に勤務していたが17年にオイシイファームを起業した。世界的な食料不足の問題に正気を感じたからだという。やるからにはと、世界最高峰のアメリカの市場で起業。果物の中でも植物工場でも最難関とも言われるイチゴ作りにチャレンジした。試行錯誤の末に成功を収めた。日米で525億円の資金調達をするまでに成長した。さらなる野望には、ニューヨーク以外のtきに工場をどのように早く展開するかだという。世界で稼ぐ企業を特集する。
25年の2月、都内某所で、アメリアでイチゴの植物工場を運営するオイシイファームの古賀さんが本格的に動き出していた。待ち合わせてたのはオイシイファームの主要メンバーたち。テーブルに並べていたのは買い集めた日本のブランドイチゴの数々。
翌月に東京・羽村市にある巨大な物流倉庫。古賀さんはこの場所に世界戦略の拠点となつ植物工場の研究施設を作ることに決めた。早速建込みがスタートし、さまざまな研究用の部屋を作っていくが建設を担当するのは保坂栄太さん。植物工場は初めて手掛けるという。アメリカで浸かっていた設備は一般的な製品を独自にアレンジしたもので、植物工場専用のものは少ない。専用の部品と設備を日本企業と共同開発し、25年6月には成功のカギを握る人物にオイシイファームの農業のスペシャリストの玉城鉄さんは千葉大学で温室栽培を研究。5年前に入社した。渡米後には植物工場用の苗作りをした。日本ではそれを超える高品質なイチゴの開発を任された。これまでにないイチゴ工場を世界に輸出する、その大仕事がここから始まる。
去年7月の東京・羽村市。植物工場の世界輸出を目指す玉城さんは新しいイチゴの品種を開発する。工場づくりが進む一方であることを始めた。それがイチゴの種まき。これから日本の種苗会社と協力し、さまざまな品種をかけ合わせながらイチゴを栽培する。狙うのは低コストで量産でき、美味しい新たな品種。玉城さんの腕の見せ所。しかし三か月経過した去年の10月。苗の育成状況を見せてもらうと、順調に育っている品種がある一方で、成長の悪い品種もあった。中には発芽さえしていないものも。玉城さんは工場の設備作りと苗の管理が行き届いていなかったと答えた。新しい品種の開発に失敗はつきもの。成功するまで繰り返すしかない。玉城さんと働く栽培チームの社員たちは種苗や園芸の会社から新たな挑戦のために転職してきた。いつも苗作りの話をする。
去年の7月、アメリカにあるオイシイファームの工場では、大切な客を迎える準備をしていたのはCEOの古賀大貴さん。そこにやってきたのは東京都の小池百合子都知事。古賀さんは自社で育てたイチゴを宣伝し、東京ブランドとして販売するという。都知事の期待も膨らむ。東京都は羽村市の研究施設に最大40億円の助成金を決定している。今年1月には東京・羽村市の研究センターでは、古賀さんと玉城さんが大事な瞬間を迎えようとしていた。栽培棚んは玉城さんが開発した苗が大きく育っていた。その中で東京で実った初めてのイチゴが。最初の種まきから半年。失敗をしながらたどりついた。そのひと粒に古賀さんは、雑味はないが甘さが足りないと答えた。古賀さんは量産化に進みたいと答えた。
台湾・台北にある青果市場の店頭には日本に馴染みのない果物ものも並ぶ。店主にオススメを聞くと、真っ先にあげたのが釈迦頭。果物は食卓の必需品で、年間の消費量は1人あたり115キロで日本人の倍は食べている。そんな中でもメロンや航空便で運ばれてくるぶどうなど日本の果物は品質が高く高級品として位置づけられているという。そんな日本の果物の仲でも飛び抜けて売れているものはリンゴ。この店ではアメリカやニュージーランド産のものは1個150円ほどだが、それに対し日本産は1つ500円ほどで売られている。リンゴがほとんどとれない台湾で、美味しく品質のよい日本のリンゴは人気がある。特に縁起の良いと言われる赤いリンゴが好まれる。日本の青果物の輸出額はおよそ440億円で、リンゴはその3分1をしめる稼ぎ頭。その一大生産地の青森でリンゴ革命をもたらす人物が。
青森県のリンゴ農家にいたのは、果物を輸出するベンチャー企業の日本農業の内藤祥平CEO。マッキンゼー出身のやり手で、輸出用のリンゴの出来栄えの確認をしにきていた。リンゴ農家の齋藤さんは6年前に6年前に日本農業を通じて海外輸出を開始。内藤さんの会社の日本農業が独自に開発した青果速報では、出荷したリンゴの数や品質が把握でき、いくらで売れるかもわかる。内藤さんは売り先だけでなく、新たな栽培方法も提案していた。この緑色のリンゴには秘密があり、リンゴは日が当たることによって色づくが、赤くするには実の近くの葉を取る必要がある。全体的に赤くするためには葉を取ってりんごを回す必要があり、農家の苦労の賜物。リンゴ農家の仕事の6割とも言われる重労働はこれが常識とされてきた。葉をとらずに育てたリンゴは、葉の光合成による栄養で味が濃くなって水分が多くなる。日本農業では葉乃果というブランドで打ち出している。
内藤さんは、収穫を大変にしていた栽培方法も一新。高密植栽培は、細い気を80センチ感覚で配置。そうすれば通路から簡単に収穫が可能。しかも木を狭い感覚で植えるために、面積あたりの収量が3倍になる。農家の手間を徹底して省いて作られた黄色いリンゴ。農家は作業の負担を減らし、輸出によって売上を伸ばせるという。
青森県弘前市にある巨大なリンゴの施設。日本農業はその一角を間借りし、支社を置いている。起業したのは10年前で従業員は国内外に182人。日本の農産品をアジアやアメリカに輸出し、売り上げ高は87億円に。社員は30代が中心で、多くは異業種からの転職者。横浜生まれの内藤さんも農業とは無縁だった。高校生頃に自転車で日本を縦断し、全国の農家の窮状を知った。なんとか救えないかと考えたが、大学に入学するとアメリカやブラジルに留学し、世界の農業を学んだ。そこで実感したことが、日本の農業は経済的にうまくいないが、圧倒的に商品の品質は美味しいという。稼げるものに変えるためにマッキンゼーに入社し、志願して農業系の企業を担当した。青森のリンゴの生産量は、この10年で2割上減少している。その要因は農業人口の減少。そこで作業を楽にすることで、後継者を増やす取り組みをしている。リンゴの傷や色づきは、農家が目で見て仕分けていたが、リンゴをレーンに置くだけでAIとカメラリンゴを回しながら運ぶことで表面の傷や色づき、蜜の入り具合まで1秒間に8個選別できる。
9月下旬、リンゴの輸出拡大に向けてできの良いリンゴを台湾に輸出しようと考えた。並んでいたのは黄色いリンゴ。内藤さんから黄色いリンゴの販売を託されたのは台湾支社長の日本農業さん。葉を取らないために、手間が省ける黄色リンゴだが、赤い色が好まれる台湾で、勝算はあるのか?糖度は14度以上ある。台湾に戻った小野さんは、早速黄色いリンゴの営業をかけた。地方銀行から日本農業に転職して2年。台湾でのビジネスをたった一人で任されている。
