- 出演者
- 膳場貴子 駒田健吾 中西悠理 唐橋ユミ 杉浦みずき
日本はパラグアイと初戦で対戦した。日本は前半19分、三戸舜介が相手の股を抜いて決める。前半23分、平河悠が相手選手に足首を踏まれ、パラグアイの選手が退場し平河悠は途中交代となった。後半18分に三戸舜介がこの試合2点目のゴールを決める。24分、山本理仁も得点。後半36分、途中交代で入った藤尾翔太のヘディングシュートで4点目を獲得。さらに、後半42分にも藤尾翔太が2点目のゴールを決めた。5対0で初戦を快勝した。
第2戦はマリと戦った。日本は小久保玲央ブライアンを中心に0に抑えたまま、後半37分に山本理仁が押し込んで先制点を奪う。後半アディショナルタイムにペナルティキックで同点のピンチだったが相手が外してゴールならず、日本は1対0で勝利した。
スタジオトーク。男子サッカーは決勝トーナメント進出が決まった。中西哲生は、PKのところは相手が外したという見方もできるが自分は必然だと思っていて、日本が緻密な準備をしてきたうえで小久保選手が判断してあの動きになったなどとコメントした。女子は初戦、スペインに2対1で敗れた。
パリ五輪サッカー男子のアルゼンチンとモロッコとの試合で、後半終了間際にアルゼンチンが同点のゴールを決めた際にモロッコサポーターが乱入して物が投げ入れられ爆竹が鳴らされる事態となった。選手らは避難して、その後2時間後に無観客で再開した上でビデオ判定をしたところ同点ゴールはオフサイドでゴール取り消しとなった。再開から3分で試合が終了しモロッコが勝利した。
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ヤクルトと広島の試合でヤクルトの代打川端慎吾がタイムリーで勝負を決めた。
DeNAと巨人の試合で巨人は若林楽人のスーパーキャッチで守り勝って4連勝。
日本ハムと西武の試合で西武は満塁のピンチに本田圭佑の好リリーフで抑えて逃げ切って勝利した。
楽天とロッテの試合でロッテの益田直也が勝利まであと1人の場面で、セカンドの小川龍成が2イニング連続のエラーでピンチになるも益田直也が抑えて勝利した。小川龍成は試合後も1人ベンチに残り涙を流していた。
上原浩治は守備要員として入って2イニング連続のエラーはプレッシャーがあったとみられるがこれからに期待等と話した。
カブスとブルワーズの試合で鈴木誠也は14号HRを打ちメジャー通算48本となり城島健司の記録に並んだ。大谷翔平はレッドソックスとの試合で今季30となる場外HRを打った。ジャイアンツとの試合では日米通算250号となる31号HRを打った。開幕から負傷者リスト入りしていた千賀滉大が復帰しブレーブス戦で初先発となり、三振の山を築くも6回に左足を抑えて倒れて降板した。6回途中2失点9奪三振で日米通算100勝となった。
WBC日韓代表のOB戦の日韓ドリームプレーヤーズゲームが行われた。監督は原辰徳監督で、福留孝介・上原浩治らが出場した。上原浩治は最速130キロのボールで激闘するもキム・テギュンにタイムリーを浴びた。その後は両チーム公式戦のような全力プレーで日本が勝利した。
山形県酒田市の映像を背景に天気予報を報道した。
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パリ五輪の開会式に参加したパレスチナ選手団。競泳や柔道などの競技に8人が参加する。ガザでの戦闘開始以降、300人を超える選手やコーチが犠牲になった。競泳男子のヤザン選手は「人間でありパレスチナ人であることを世界に示したい」と話した。今回のパリ大会では各地で続く戦争が暗い影を落としている。ガザで親戚を失った競泳女子のバレリー・タラジ選手。食料危機が続くガザで海に投下された支援物資を取りに行こうとして多くの市民が溺死した出来事を振り返り、「大勢の人が溺れているのを見て本当にショックだった。ガザの子供たちに水泳を教えようとしていた矢先だったのに」と話した。オリンピック憲章はスポーツによる平和な社会の推進という理念を掲げる。しかし、その難しさを物語る出来事が相次いでいる。去年開かれたフェンシングの世界選手権。試合後ウクライナ選手は相手のロシア選手との握手を拒否し失格に。また、今回の五輪ではロシアと同盟国ベラルーシに対し、IOCはウクライナ侵攻を支持しないなどの条件を設け、「個人としての参加」のみ認めた。プーチン大統領は「このような行動を取るなら五輪ムーブメントは葬り去られる」と反発。今、ロシアは五輪とは別のスポーツ大会「フレンドシップ・ゲームズ」を計画。五輪を上回る35競技を実施と主張。
掲げる理想とは裏腹に世界の分断を色濃く映し出す五輪。しかし、古代五輪は戦争状態にある都市国家が「休戦協定」を結んで開催。その精神を受け継いだ近代五輪も大会中は紛争地域での停戦”オリンピック休戦”を訴えるようになった。IOCが休戦を初めて訴えたのは1992年バルセロナ五輪。当時、旧ユーゴスラビアは内戦状態にあり、国連はスポーツ選手の国際的な大会出場を禁止していた。IOCは大会期間中の「五輪休戦」を提唱し、旧ユーゴの選手の大会参加を実現させた。この時の状況について中京大学・來田享子教授は「「世界の人々に平和を求めるようなアピールをIOCから発してはどうだろうか」と国際政治から五輪は独立したいというIOCの思いがあった」と指摘。1993年には国連もIOCと歩調を合わせ総会で休戦決議を採択。以後、五輪開催の度に大会期間中と前後7日間の休戦を国際社会に求める決議を行うようになる。しかし、現実は大会期間中も戦果が止むことはなかった。
おととい行われたパリ五輪の開会式。ピアノが炎に包まれる演出の中、平和を希求する曲「イマジン」が演奏され、橋には平和の象徴ハトのイルミネーションが。平和への呼びかけにも関わらず止むこともない戦果。それでも平和への思いを胸に大会に臨む選手がいる。度重なる内戦を経て今なお武力衝突が続く南スーダンから男子800mに出場するアブラハム選手。人工の半数以上が今年危機的レベルの飢餓に陥るとされるなど深刻な人道危機に直面している。「多くの選手はお金がないので靴を買うことができません。裸足で走り、硬い石を踏みつけ、血が出ています」と話した。内戦で国民同士が争いを続ける中、五輪出場について「私が走ることで内戦下の国民が一つにまとまれると信じています。少しでも国が平和になる手助けになればいいと願っています」と話した。