- 出演者
- 笑福亭鶴瓶 杉原凜 団長安田(安田大サーカス) 小峠英二(バイきんぐ) 小泉孝太郎 指原莉乃 ヒロミ ゆめっち(3時のヒロイン) 宮近海斗(Travis Japan) 角田夏実 福田麻貴(3時のヒロイン) かなで(3時のヒロイン) 松倉海斗(Travis Japan) ゆいちゃみ ゆうちゃみ
34年前、ヒロミは20代の時に命を脅かす大ケガをした。
1990年代のテレビは今では考えられない過激な番組がたくさん。B21スペシャルの冠番組では無茶苦茶な企画ばかりで大人気だった。ヒロミはロケット花火1万本を背負って宇宙に行く企画を考えた。企画を成功させるためスタッフは安全面を必死に考え箱に接する背中部分は断熱板をつけた。
ロケット花火では宇宙どころか箱すら浮かない。告知を見た多くのファンが集まってきた。ヒロミは耐熱スーツを着て収録スタート。安全面を考慮したため箱は想像以上に重かった。箱を背負ってみると足元にはカバーもなく風も強かった。ロケット花火1万本に一気に点火、熱風はヒロミの足元へ。ヒロミはやけどで1番重いIII度熱傷の状態で、神経も損傷し痛みがないのが特徴。病院へ向かう途中水をかけた。
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- デビット伊東
救急車で病院へ搬送された。やけどをしたときは無理に服を脱がず服の上から水をかけること。この時、密かに松本伊代と交際していて、不安がるからとマネージャーに連絡するように頼んだ。明け方、ヒロミはやけどの専門病棟がある東京の病院へ向かう移動中に意識を失った。壊死した皮膚を残しておくと細菌が侵入し敗血症など重大な感染症を起こすおそれがあり、やけどした皮膚は全て取り除く。ヒロミは身体の25%をやけどしていて、身体の15%以上、広範囲のIII度熱傷は重症で命の危険がある。血管の小さな穴は液体成分が体の細胞に流れ栄養を送るが、やけどで穴が損傷を受けると穴が大きくなり多くの液体成分が漏れ出てしまう。熱傷部分が広範囲になると血管内から水分が漏れ出て血流がとどこおり、脳や心臓に血液がまわらなくなるという。皮膚には体温を守る役割がありなくなれば体温が低下する。また、ヒロミは18歳の時に車の事故で内臓破裂という重症を負った。
意識がないヒロミを見舞いに来た友人らが大騒ぎしたが、ヒロミは上から友人らを見ていた。その後ヒロミは手術を受け奇跡的に助かった。
ヒロミは今回はやけどで入院。松本伊代も見舞いに来た。ヒロミはまたも不思議な体験をすることになる。
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ヒロミの意識が戻った。表皮と真皮の一部を切り取り移植する。切り取った皮膚は伸ばしてひし形の空間がある状態で移植し、空間部分に皮膚が再生する。移植した部分は時間をかけて血管・神経が再生していく。強い痛み止めの薬で意識が朦朧とする日々。そんな中女性と娘らしい声が話しかけてきて会話をしたが、相手の姿は見えなかった。病院の入口に牛乳を飲んでいるおじさんも見かけた。ヒロミは膝裏と足首はやけどしていなかった。拘縮は皮膚組織が治る際周りの皮膚を引っ張り合うことで、関節の場合曲げ伸ばしができなくなる可能性がある。
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薬を飲んでもかゆさは抑えられずかゆいところをたたいてまぎらわせた。無意識でかいてしまい移植した皮膚を傷つけてしまい手を縛ってかゆみに耐えた。リハビリでは皮膚が引っ張り合い思うように足が動かなかった。1991年10月31日、事故からおよそ2か月半後に退院。また、入院中にドラマに1カット出演した。
1995年1月17日、午前5時46分にマグニチュード7.3の大地震が発生した。住宅街は炎に包まれ道路や線路は寸断。土砂崩れに液状化現象も起きた。6000人を超える犠牲者、全壊家屋は10万軒以上。笑福亭鶴瓶と団長安田も被災地にいた。
1995年1月16日、鶴瓶はトーク番組の収録ため大阪にいた。大阪市内で会食しタクシーで自宅のある西宮へ。当時団長も西宮市に住んでいた。団長は前日が成人式で朝まで飲み明かしていた。幼馴染の山口恵介さんは団長が芸人になることを心から応援していた。1月16日には4度の小さな地震があった。
1月17日午前5時46分、兵庫県淡路島北部深さ約16kmを震源とする大地震が発生しすさまじい速度で兵庫県を襲った。激しい揺れは15秒ほど続いた。内陸直下地震と呼ばれる狭い範囲が激しく揺れるタイプで、観測史上初となる震度7の揺れが起きた。団長の家の床は割れたガラスや皿で足の踏み場もなかった。余震も繰り返し起き全て崩れてしまう恐怖に襲われた。
阪神・淡路大震災、当時団長は被災地の西宮市にいた。道路はいたるところに瓦礫が散乱し停電により信号や街頭も消えていた。あちこちで火災が起き、団長は1時間かけ祖母の家に行くと祖母は無事だった。しかし恵介さんがよく泊まるマンションが頭から離れなかった。
鶴瓶は近くに住む弟子たちに連絡し、避難所として自宅を開放した。
倒壊した高速道路にギリギリの状態で止まっていたバスについて。神戸から約400km離れていた野沢温泉にバスはいた。当時はやや陰りが見えていたがまだまだスキーブーム。バスは43人の乗客を乗せ野沢温泉を出発した。
大雪による渋滞でスケジュールに遅れが出ていて、バスは休憩時間を短縮し遅れを取り戻していた。京都駅で10人が下車、乗客は残り33人。前日は吹雪でガソリンを運ぶタンクローリーが来られず給油を十分にできなかった。バスは燃料を補給し、この行為が運命を大きく変えることになった。大阪駅で乗客の半数以上が下車し残り10人に。電車のほうが早いと7人も下車し乗客は3人となった。
地震時バスは高速道路にいた。目の前の道が一瞬にして消え、バスはギリギリで踏みとどまっていた。乗客3人とともに脱出。バスは高速道路が600m以上横倒しになった場所のわずか数km手前だった。この時に大地震だと思ったという。
その頃、真っ暗闇のエレベーターの中に一人の男性が閉じ込められていた。
男性はエレベーターのワイヤが切れ落下したと考えていた。エレベーターの外からは水の音が聞こえてきた。
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- 阪神・淡路大震災
神戸市東灘区、マンションの1階に中川さん一家が住んでいた。当時父親は単身赴任中。自宅には息子の亜太さんと亮平さん、母親の紀代美さんがいて被害に遭った。地震でマンションの1階が潰れてしまった。紀代美さんは奇跡的に無事だった。兄弟も無事で、2段ベッドの底が抜け2人は一緒にいた。