- 出演者
- 浜田雅功(ダウンタウン) 佐久間みなみ 西山秀二 藪恵壹 前田幸長 坂口智隆 内川聖一 山口俊
きょうは「爆笑!万年Bクラス」。きょうは現役時代5年以上連続でBクラスに低迷した人たちに今だから話せるエピソードを聞いていく。万年Bクラスに低迷する選手たちはときに不吉な前兆を感じるという。それは「95年。監督が急に明るくなる」こと。藪さんは「途中までは渋い顔をしている。急に明るくなる。食事会場でもなんかわあわあ言い出して。監督の周りにも人が急に行き始める。そうするとシーズン途中で辞任に。明るくなったなあと思うときは辞めるとき」などコメント。坂口さんは「いろんな監督とやらせてもらった、監督が辞める前にはお前はこういう選手になれよとか急に未来を語り始める。コーチが急に優しくなる瞬間がある。一緒に辞めるのかな?とか」などコメント。ルーキーイヤーから6年連続でBクラスに転落し、中日への移籍で野球人生が大きく変わったという前田幸長さんは「星野監督がキャンプインの前日に優勝狙いにいくと話した。僕はロッテから移籍したばかりだったので何言ってんのという感じで。そしたらドラゴンズは1999年に優勝して、ビールかけをやらせてもらってこんなに楽しいことがあるんだというのが印象に残っている」などコメント。また、星野監督とのエピソードで「厳しい言葉をかけてもらった。ロッテの野球をいつまでやっているのかと」などコメント。
チームがBクラスに落ち込むと「オーナーが恥をかく」という問題もでてくる。西山さんは「オーナー会議ではその年の優勝チームのオーナーから順に会議の上座に座っていくらしい。最下位は一番うしろ。オーナーが最後は座り心地が悪いからせめて3番か4番に座らせてくれと言ってくる。カープ球団は居心地がよくて、給料安くてもFAしない」などコメント。また、西山さんはいつごろBクラスを意識するのか聞かれると「オールスターまでは諦めていない。ただオールスター過ぎたらやっぱり無理かなと。戦力差は感じる」などコメント。内川さんは「ゲーム差はあっても諦められないが、勝っても負けても状況が変わらない辛さはあった」などコメント。坂口さんは「シーズン当初調子が良くても負け始めたらずるずるいってしまう。負け始めたら新聞を見なくなる」などコメント。山口さんは「7回とかで負けてたらチケット代全額返金ということを球団がキャンペーンでやっていた。これは負けるのを前提にやっているのかなと思うこともあった」などコメント。
内川の順位一覧を紹介。横浜時代の10年間はBクラス8回、移籍後はリーグ優勝5回、日本一7回。勝てるチームは100点満点スタートで何もミスしなければ勝てるとの考え方だが、勝てないチームは0点スタートでやるべき事ができたら勝てるという考え方とのこと。前田はロッテと巨人で待遇の差を感じた。当時、ロッテのケータリングはおにぎり・うどん・ソバだったが、巨人に行ったら無いものが無く、逆だったらゾッとすると話した。坂口はBクラスの秋季キャンプはエグいと指摘。Bクラスはシーズン終わって2~3日後にキャンプに出発。今ケガしたって来年治るからとの考え方だったという。藪は助っ人外国人が経歴詐称と指摘。M・グリーンウェルはMr.レッドソックスとされていたが、メジャー行った際に聞いたら「誰だそれ?」と言われたという。M・グリーンウェルは阪神で7試合に出場し帰国。それぐらい昔は情報が少なかったという。活躍できない助っ人外国人の共通点がオープン戦でホームラン量産。内川が忘れられない助っ人はダン・ジョンソン。外野守備見たらうまくなく、話を聞いたらメインはファーストであり、俺レフトやるよと代わったという。
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坂口智隆はオリックス時代にビッグボーイズ打線と言われた助っ人外国人4人がいた。開幕には4人いたが、肩痛いなどといい出し1人2人と抜けていくが、あるシーズン全員骨折の時があったという。内川聖一は強いチームで最初からやりたかったという気持ちがあったか聞かれ、弱いチームでもゲームに出られていない時期もあったのでいきなり強いチームに入っていたら今のような成績は残していなかったのではないかと話した。坂口智隆は強いチームに行っていたらレギュラーになれなかった、弱いチームは若い選手にチャンスがあるなどと話した。
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