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オープニング映像。
2024年2月、輪島市の観光名所の朝市通りで食堂を営んでいた紙浩之さん。地震で店内に閉じ込められたという。輪島などで震度7を観測した巨大地震。日本三大朝市とされる、輪島朝市。その道路沿いに新鮮な野菜や海産物を販売する露店が200以上立ち並んでいた。年間数十万人が訪れる人気の場所だった。その朝市通り周辺では夕方頃に火災が発生し、200棟以上が焼けて4万9000平方メートルが焼失。輪島市内にある紙さんの自宅は東海を倒壊を免れていた。料理をするのはあの日以来ほぼ11ヵ月ぶりのこと。紙さんの朝市さかばは地魚を普段につかった魚料理が人気で、朝市で買った食材を持ち込めば格安で提供してくれる。壁にかけられた時計は地震が発生した4時10分をさしたまま。
自らも厳しい生活を続ける紙さんだったが、朝市復活にむけてある計画を開いていた。多くの人が仮設住宅での生活を余儀なくされている輪島市内。紙さんは不便な生活をしている人たちになんとか食べ物を届けたいと考えた。災害ごみの仮置場で日銭を稼ぎながらキッチンカー購入のための補助金を申請。200万円ほどで中古のキッチンカーを購入。小さな車体にキッチン、レジ、冷蔵庫とついている。営業初日は馴染みの魚屋で魚を仕入れた紙さん。輪島市の多くの仮設住宅が並ぶ地域でキッチンカーを出店。仮説に住む人々に料理を振る舞った。紙さんの店には以前、アルバイトなどをしにくる若者がいたという。子どもがいない紙さんは、我が子のようにかわいがっていたという。
2024年9月に能登半島豪雨災害では19人が死亡した。その中に中学生の喜三翼音さんがいた。かつて紙さんの店を手伝っていたという。翼音さんは23年の大晦日に地震発生の前日まで手伝いにきてくれていた。豪雨の当日に自宅で一人でいた翼音さんは家ごと流されて行方不明に。9日後に150キロ離れた福井沖で遺体となって見つかった。25年6月、キッチンカーを初めて3ヵ月。この頃の紙さんは朝市が復活すれば以前のように店舗を出すつもりでいた。輪島朝市の再建について議論が行われていた。かつての輪島朝市は紙さんの店が入り露店が並ぶ形態に。本町商店街については輪島市が元の朝市通り沿いに建築。問題は露店をどうするか?露店の場所が入り元の朝市通りではなく離れたところに建設されるという案も。紙さんはその案では出店しないと答えた。20件前後を見込んでいた出店規模は10件ほどに。しかし紙さんは元の形での出店スタイルに希望は捨てていない。
朝市通りに露店を出していた人たちは今別の店で出張輪島朝市を開いているという。最新の計画では朝市通りの本町商店街の近くに屋根付きの露店スペースを設置することでまとまりつつある。そして輪島大祭が行われたがキリコという巨大な灯籠を引っ張って練り歩く。その中心にいるのは若者たち。祭りのクライマックスは燃え盛る松明の下を神輿がまわり、最後は松明が倒される。この日紙さんがやってきたのは、朝市が開かれていた場所。当面店舗を出すつもりはないがいつか朝市が昔のような形で戻ってくることを信じている。
エンディング映像。
