- 出演者
- 明石家さんま 島崎和歌子 小杉竜一(ブラックマヨネーズ) 吉田敬(ブラックマヨネーズ) 井上清華 兼近大樹(EXIT) りんたろー。(EXIT) 榊原郁恵 池田清彦 本間昭光 坪田信貴 梶本修身 中野信子 渋谷凪咲 牛窪恵 冨永潤
昭和61年頃に行われた日焼けコンテストの映像が紹介された。日焼けするのは健康に良いとされていたが、昭和の終わり頃にオゾン層の破壊が話題となった。紫外線の浴びすぎはシミ、そばかす、シワに繋がる、皮膚がんの原因になるとされてきたが、近年はビタミンD不足が深刻化しているという。梶本修身氏は10分程度、半袖での日光浴を推奨した。牛窪恵氏によると、昭和60年頃から健康ブームになり、前年には「禁煙パイポ」が流行語大賞に輝いた。禁煙パイポで話題を集めたCMはオーディションが行われ、公務員だった手塚和重氏が選ばれた。ノーギャラで出演したという。
池田清彦氏は1950年、平均年齢は26.6歳だったが、令和6年は50歳で、高齢化が進んで活気がないのは当然だという。榊原郁恵、明石家さんまはテレビ番組がカラー放送、白黒放送とで混在していた頃を懐かしんだ。中野信子氏は「給料袋を介してお金の重みを感じることで、働いたという実感が得られる。出世欲の後支えになった」と話す。給与が手渡しから振り込みになったのは3億円合同事件がきっかけだという。昭和の時代、珍獣もブームとなり、その代表格がウーパールーパー。正式名称はメキシコサンショウウオ。ビックリマンシールも話題を集めていたなか、明石家さんまは「ロッテさんは俺のシールを作っていたが会社が断った」と明かした。
昭和家電収集家の冨永潤氏は「プリント技術の発展により花柄ポットなどの製品が量産された」と話した。渋谷凪咲によると、令和の今、よりオシャレになった花柄製品がインスタ映えすると好評を博しているという。中野信子氏は「人はシンプルで分かりやすい物が好きで、脳からすると認知負荷が低い」、「見慣れるほどの認知負荷が低くなり、好きになっていく」と語った。
本間昭光氏は松任谷正隆氏に師事し、ポルノグラフィティやいきものがかりなどの楽曲制作を担当してきた。本間氏は昭和歌謡の特徴に「聴きやすい・歌いやすい・覚えやすい」を挙げ、「歌詞が先に作られると、日本語のイントネーションに合ったメロディーをつけるため聴きやすい」と概説した。また、長いイントロで世界観を作り上げていたといい、本間氏はアン・ルイスの「グッド・バイ・マイ・ラブ」をセレクト。対照的に令和の曲だとイントロは極端に短い。榊原郁恵は「夜のヒットスタジオ」の出演秘話を明かした。バンドメンバーと音合わせが行われていたが、生放送だったので時間がおすとテンポが速くなったりしていたという。
冨永氏は装飾にこだわった昭和のテレビを美術品と評する。同氏は日本最古とされる昭和27年頃のブラウン管テレビを持っていて、画面は今のスマホサイズだという。
昭和33年の白黒テレビが用意され、冨永氏は「ALWAYS 三丁目の夕日」の撮影に使われたと明かした。さらに榊原郁恵が出演した昭和の音楽番組が白黒で上映され、明石家さんまらは懐かしさに浸った。
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- ALWAYS 三丁目の夕日
明日放送される「櫻井翔のワンナイトスタディ」、「この世界は1ダフル」、「波うららかに、めおと日和」の番組宣伝。
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富永氏は白黒テレビの画面にカラーフィルターを配置した。明石家さんまは「カラー放送に見えるらしい」と飛びついて購入したことを思い出した。カラー放送が始まっても白黒テレビの家庭は多く、贈答品としてフィルターの需要は高かったという。
梶本修身氏によると、昭和の人々は令和の人よりも睡眠を多くとっていたという。LEDの普及などで強い光にふれる機会が多くなった結果、睡眠の質の低下の要因になっているという。教育者の坪田信貴氏は「気持ちを切り替えるのにハチマキは効果的」と話し、さらに集団での勉強合宿はページをめくったり、鉛筆の音などの雑音が耳に入ってくる入試会場とかなり近い。場慣れするのには適していたという。さらに坪田氏は「個人情報や家庭でのプライバシー保護、共働きが増えてきたことで家庭訪問は減少傾向にある」と語った。
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- ポニーテールとシュシュ
梶本氏は「昭和の頃、傷の治療に赤チンが使われていたが、製造過程で水銀が出る上に有機水銀も含まれていた」と説明。赤チンは2020年に完全消滅したという。
梶本氏によると、消毒液を塗ると正常細胞を傷つけかねないとして、水道水で傷口をキレイにしハイドロコロイド絆創膏を貼って放置しておくべきだという。
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- ハイドロコロイドパッド
エンディング映像。
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