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きょうの世界遺産は長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産。
潜伏キリシタン関連遺産は全部で12か所。長崎県と熊本県の天草地方に点在している。天草の崎津集落は昔ながらの風情が残る漁師町。キリスト教が禁じられた江戸時代、ここで潜伏キリシタンが信仰を隠しながら暮らしていた。アワビの貝殻の模様や古銭を祈りの対象に見立てていたという。大江集落にある江戸時代に建てられた民家には潜伏キリシタンが作った隠れ部屋がある。
潜伏キリシタンの歴史の始まりは江戸時代初期に起きた島原・天草一揆だった。厳しい年貢の取り立てとキリスト教徒への弾圧に耐えかね、農民とキリシタンが蜂起し原城跡に立て籠もった。幕府軍の攻撃により、3万人もの農民やキリシタンが犠牲になった。こうした反乱が続くことを恐れた幕府はキリシタンをあぶり出し、徹底的な弾圧を始めた。信仰を捨てないものは長崎の雲仙地獄で拷問された。潜伏の時代は250年にも及んだ。
禁教が解かれたのは明治時代たった。キリスト教に復帰し教会を建てた。現在の崎津教会 は昭和初期に再建されたもの。内部は畳敷きだ。こうした日本の文化も取り入れた教会が熊本や長崎に次々と建てられていった。潜伏の時代には幕府の弾圧を逃れるため、移住した人たちもいた。
江戸時代、弾圧を逃れ密かに信仰を守り抜いた潜伏キリシタン。独自の信仰の姿を伝える集落などが世界遺産になっている。潜伏の時代、開拓団などに紛れ込み九州本土を離れた人たちもいた。五島列島の野崎島には多い時に650人ほどが暮らしていたというが、現在定住者はいない。今では野生の鹿の天国だ。島の南端にキリシタンが作った集落があった。この島は聖なる岩を頂く古くからの神道の聖地だ。キリシタンたちは表向きは神社の氏子になることで自分たちの信仰を隠そうと考えた。
野崎島にはもう一つ、潜伏キリシタンの集落があった。禁教が解かれてまず、木造の教会が建てられたが、レンガ造りで再建された。設計から世耕まで全ての費用を自分たちで賄った。奈留島の谷間を切り開いたのも潜伏キリシタン。18世紀末頃に4家族が隠れ住み、その後40戸ほどに増えた。今では数件の民家が残るのみ。江上天主堂は信者たちが苦労して資金を集め、心尽くしの工夫で飾った。
キリシタンが弾圧を逃れるための潜伏は250年も続いた。江戸時代の末、長崎に外国人のための教会が建てられた。1865年3月、ある一団が訪れ、神父に自らがキリスト教徒であることを告白した。この報せを聞いたバチカンのローマ教皇は「奇跡のようだと」と喜んだと言われている。西洋で「信徒発見」と呼ばれた出来事だ。やがて明治政府は信教の自由を宣言。
「世界遺産」の次回予告。
「ベスコングルメ」の番組宣伝。